TENDER RAIN

 

 

その日、朝晴れていたにもかかわらず、昼になって急に雨が降り出した。

「もーいややわぁ」

「傘…持って来なかった…どうしよう」

食堂で昼食をとっていた面々が外を見ながら口々につぶやく。

そこへ

「わー、どいてどいてっ」

と大声で叫びながら新井木が食堂へ飛び込んできた。

「もう、やんなっちゃう。ずぶ濡れになっちゃったじゃないっ」

彼女は大げさに制服をバタバタと叩いた。周囲に雫が飛び散る。

「風邪ひいちゃうよぉ」

ハンカチを取り出して濡れた顔を拭いていた彼女はふと速水を見た。

「ね、制服の上着貸してよ」

「ええ?!僕の?」

「だって男の子、キミしかいないもん」

言われて速水は周囲を見回した。

石津に加藤に舞に、飛び込んできた新井木。確かに男は自分一人しかいない。

「で、でも」

「このままじゃ風邪ひいちゃうでしょ。キミは男の子なんだから寒くたって平気」

「無茶言わないでよ」

「何よ、私が風邪引いてもいいの」

「えっと、そうじゃなくて、さ」

言葉を濁して彼は視線の端で舞を見た。

 

同じ3号機パイロットで、一緒に仕事をする機会の多い彼らは互いが気になる存在だった。クラスメートの間でもずいぶん噂になっている。

 

「いいでしょ。少しの間くらい」

強引に新井木が速水に詰め寄り制服を掴む。

「わぁ、待ってってばっ」

「男は潔さが肝心だって」

(どうしよう…)

困惑する速水と視線が合い、舞が目を反らす。

「いきなり貸せって言われても困るよ…」

言い訳をする彼の声を聞きながら舞は外へ飛び出した。

 

 

ザアァァァァァッ…

思ったより雨足は激しかった。

ハンガーへ走る彼女の髪や頬に激しい雨粒があたる。

舞は一気に駈けてハンガーの2階へと上がった。

わずかな距離を走っただけなのにかなり濡れてしまった。

原因不明の苛立ちに乱暴に制服を拭きながら舞はため息を付いた。

 

どうかしている。彼が誰に制服を貸そうと関係ないではないか。

(カダヤでもあるまいし…)

ふと無意識に出た「カダヤ」の言葉に動揺する。

「ば、馬鹿馬鹿しいっ」

振り切るように言い捨てて、彼女はハンガー2階右側へと向った。

雑念を払うように自分を叱咤し、濡れた制服を脱いでハンガーの手摺にかける。

工具箱を取り、いつもの様に仕事を始めた。

 

雨のせいで気温が下がっているようだった。

濡れた制服を着ているよりはましだと思っていたが、半袖ではかなり寒い。

しばらく我慢して仕事を続けていた彼女は、襲う寒気に思わず自分を抱き締めた。

ふわ。

寒さで立ちすくむ彼女の肩に何か掛かる。

(え…?)

うつむく目に入ったのは見慣れた袖。男子の制服だ。

「風邪引くよ」

振り向くと、半袖姿の速水が立っていた。

「速水…?」

「雨の中出ていっちゃうんだもん。ずいぶん濡れたでしょ」

視線で彼が手摺に掛けられた制服を示す。

「そそ、そなたには関係ない」

「あるよ。君が風邪引くの嫌だから」

「そ、そのようなこと…」

舞は肩に掛けられた制服をそっと握りしめた。

「…新井木に貸したのではなかったのか」

「引き剥がされそうになったから、逃げてきちゃった」

「馬鹿め」

「だって、しょうがないじゃない…」

目を伏せて速水がつぶやく。

「他の子には…貸したくなかったから」

「…」

舞は赤くなってうつむいた。

 

クラスメートの噂はまんざら嘘ではなかった。

何故か速水は舞に優しい。

もっとも『芝村』である彼女に近づく者など今まで皆無に等しかったから、こうして話すだけでも噂にはなっただろうが…。

 

互いにうつむく二人の耳に午後の予鈴が聞こえた。

「授業が始まっちゃうね。行こうか」

「でも、お前がずぶ濡れになるぞ?」

「小降りになったし、テレポートするから大丈夫だよ」

「あっ」

小さく叫ぶ彼女に速水はくすくす笑った。

「前から思ってたんだけど、舞って結構おっちょこちょいだよね?」

「う、ううう、うるさいっ」

速水が笑いながら舞に掛けた制服の前を合わせた。

「風邪引くといけないからちゃんと着て」

促されて彼女は袖に腕を通した。肩が落ちてかなりダブダブだ。

その姿を見て速水がポツリと言う。

「何というか…ちょっと…照れくさい、かな」

「ばっ、ばば馬鹿」

「行こう」

二人は並んで教室へとテレポートした。

 

 

教室で雑談を交わしていた滝川と加藤は、いきなり半袖姿で現れた速水を見て駆け寄った。

「お前制服どうしたんだ?」

「速水くんも制服濡れてしもうたん?」

「え、いやちょっと…」

「うん?」

言いよどむ速水をいぶかしげに見て、滝川は彼の後ろにいた舞に気付いた。

「芝村っ。何でお前が速水の制服着てるんだよっ」

「え、こ、これは、その…」

「舞、雨に濡れちゃって。寒そうだったから…」

「ふ~ん。それだけかぁ?」

ニヤニヤしながら滝川が速水と舞を見比べる。

「なんや、妖しいな。速水くん、新井木さんには貸さへんかったのに」

「えっ、だ、だからすごく寒そうにしてて、風邪引くと思って…」

「ふ~ん」

加藤と滝川が互いに目配せをする。またいらぬ噂を流しそうな雰囲気だ。速水は少しげんなりした。噂を流すのは勝手だし自分はいいが、舞が気にする。

彼女は至極真面目なので冗談やからかわれる事が嫌いだ。

ちゃんと他意はない事を説明しようと速水が口を開きかけた時、教室に入って来たののみがパタパタと駆け寄って来た。

「あれ?なんでまいちゃんあっちゃんのせいふくきてるの?」

「えっ」

再び聞かれて舞が手に持つ制服を握り締めた。ののみがそれに気付く。

「まいちゃんのせいふくびしょびしょだね。おそとにでてたの?」

「ハ、ハンガーへ仕事をしに行って…その時に…」

小さな声で答える舞にののみがにこっと笑った。

「そうなんだ。あっちゃんがかしてくれたの?やさしいねぇ」

「とくに誰かさんにはな」

「か、加藤っ。私たちはべ、別に何もっ」

「ええって、ええって。無理に言い訳せんでも」

「ちち、違うと言うのにっ」

舞はからかわれる事が我慢ならないらしく、着ていた制服に手を掛けた。

ファスナーを降ろして脱ぎかかる彼女を速水が止める。

「駄目だよ、寒いでしょ。君の制服濡れてるし、ちゃんと着てて」

「し、しかし、…」

舞が怒りと困惑の入り混じった目で速水を見る。

「言いたい奴には言わせておけばいいんだよ。君が風邪引く事なんかない」

速水は舞を背に立ち、滝川と加藤に向って言った。

「僕、何も悪い事してないから気にしないよ。言いたければ言えばいい。でも、舞は関係ないから。僕が無理やり貸したんだ。それだけだから」

まっすぐな瞳を向ける速水に彼らは少しバツの悪そうな顔をした。

からかい過ぎたことに気付いたらしい。

「舞も気にしちゃ駄目だよ」

「そうなのよ。あっちゃんしんぱいしてかしてくれたのよ。ちゃんときてなきゃ、めー」

速水が押し黙りののみを見る舞の背中を押した。

「先生来るから、席に着こう」

加藤と滝川もそれ以上何も言わずに自分たちの席へ向った。

舞は憮然としながらも自分の椅子の背に濡れた制服を掛け、授業の準備を始めた。

こんなことでからかわれるのはたまらない。

でも…

ふと目に入った前の席の速水の背中は、何故かいつもより少し大きく見えるような気がした。

 

 

結局その後もずっと舞は速水の制服を着ていた。

先生達にも注意をされたが、事情を話すと「制服が乾くまで」の条件付で許可された。

それでも周囲の視線を気にして彼女は何度も速水に返そうとしたのだが、その度に彼はなんだかんだと言ってやんわり拒否した。

雨のせいで湿気が多く、なかなか彼女の制服が乾かなかったからだ。

それに、彼は楽しそうだった。

理由はたぶん、舞にもわかっている。

だからこそ、彼女は気恥ずかしくてたまらなかったかったのだが。

 

放課後の仕事時間、各自次の出撃準備に追われてそれぞれの持ち場で作業を行っていた。士魂号のパイロットである速水、舞、滝川、壬生屋もハンガーで仕事をしていた。

くしゅん。

舞が並んで仕事をしていた速水を振り返る。

「そなた寒いのではないのか」

「そんなことないけど…」

「馬鹿、無理をするからだ」

舞は慌てて速水の制服を脱いだ。瞬間外気が肌に突き刺さる。

思っていたより寒い。

「早く着ろ」

「だって舞が寒いでしょ」

「もう私の制服は乾いた。人のことはいいから自分の心配をしろ」

「でも…」

「いいから早く着ろ」

彼は差し出された上着を受け取って袖を通した。

が、何故かそれを途中で止める。

「速水?」

「…あったかい」

「やせ我慢などするからだ、馬鹿者っ」

舞の叱責に速水が小さく笑う。

「違うよ、そうじゃなくて…」

彼は制服を着ながらつぶやいた。

「ずっと舞が着てたから…あったかい」

(あ…)

彼女はその場に固まった。みるみるうなじが赤く染まる。

 

ごほん。

いきなりの咳払いに速水と舞はハッと我に返った。

「どうでもいいけどさ。仕事しにくいんだけど」

昼間の件のせいで滝川の言い方は控えめだったが、やはり必死でニヤつく顔を堪えているようである。その滝川の向うで壬生屋が少し赤くなりながら『…不潔です』と小さな声で言った。

「ご、ごめんっ」

「せ、せせ制服を着てくるっ」

速水は慌てて工具を手にして仕事にかかり、舞は頬を押さえてハンガーを駆け出した。

 

 

* * * * * *

 

 

雨。雨。雨。

まだ降っている。

翌日も朝から雨だった。

 

目覚ましのベルが鳴って、目を覚ました速水はベッドを出ようとした途端に膝が折れて床に座り込んだ。眩暈がして立ち上がれない。

(風邪かな…?)

ぼんやり考えて額に手をやると何だか熱いような気がした。身体もだるい。

酷く喉が渇いて這うようにして台所へ向う。

流しに掴まり立ち上がったものの、やはり眩暈がして視界が歪んだ。

(駄目だ…)

彼は渇きを癒した後、学校に連絡を入れて大人しくベッドへ戻った。

(無理しちゃったかなぁ…)

額に腕を乗せてぼんやりと昨日の事を思い出す。

 

本当はかなり寒かった。春とはいえ、雨も降ってて。

舞が寒そうにしてたから…

だから彼女の制服が乾くまで、と思っていた。

でも…

自分の制服を着た彼女を見て、ずっとそのまま着ていて欲しいと思った。

風邪を引いたりして欲しくなかったし、それに。

それに…

 

霞む瞳の隅に入る白い影-

制服。

昨日、彼女が着ていた-

 

彼は頭上のフックに掛けられているそれに手を伸ばした。

袖を引いてハンガーごと落ちてくる制服を危なっかしい手で掴む。

「舞…」

速水は制服を抱いて目を閉じた。

 

肩が落ちてダブダブだったっけ。

見た目より華奢なんだ…女の子だもんね。可愛かったな。

…何かすごくいい雰囲気で…

だから、ずっと着てて欲しかったんだ。

返してもらった制服を着た時、とても暖かくて

なんだか舞が抱き締めてくれてるような気がして…

そんな事言ったらきっと怒るよね。

『馬鹿者』とか言われそう。

 

でも、僕はずっと…

ずっと…

 

彼は制服をぎゅっと握り締めた。

 

(舞、風邪引いてないといいけど…)

 

 

* * * * * *

 

 

舞は朝から姿を見せない速水の事が気になっていた。

しかし、昨日の今日で周囲に聞くのもはばかられて言い出せずに放課後になった。

休みだとすると、やはり風邪でも引いたのかも知れない。

昨日、制服を返した時、とても寒かったから。

心配になった彼女は教室を出ようとしていた石津とののみを呼び止めた。

「その、速水を知らぬか?」

平静を装って尋ねる舞。

「休み…だと思うわ…」

「せんせいが、おねつでたってれんらくがあったっていってたよ」

「熱?」

やはりそうだ。彼は無理をしていたのだ。

「馬鹿めっ。やせ我慢などするからこんな事に…」

文句を言いかけた舞をののみが遮る。

「でも、あっちゃんきのう、なんだかうれしそうだったね」

「えっ」

「ののみわかるもん。あっちゃんのせいふく、

まいちゃんがきてたのうれしかったんだね」

「ばっばばば、馬鹿なっ。そ、そそそそのような事はあるはずが…」

「どうしてぇ?だってあっちゃん、ずっとにこにこしてたもん」

「…」

「お見舞い…行ってあげたら…?」

「なっ、なな何故私がっ」

「あ、それいいね。あっちゃんよろこぶよぉ」

「そそ、そんな事はないっ」

「どうして?」

ののみに聞かれて舞が詰まる。それに石津が追い討ちを掛けた。

「…食事…取ってないかも…知れない…。風邪…長引くわね…」

(うぅ…)

動揺して困惑する舞をじっと見つめる石津とののみ。

唸りながら考え込んでいた舞がその視線に気付いた。

「ななな、なんだっ」

「…なんでも…ない…」

「おしごとしなきゃだねぇ」

「…」

彼らは舞を残して教室を出ながら顔を見合わせて微笑んだ。

 

 

仕事時間中、集中することが出来なかった舞は19時になるやいなや即座に工具を片付けて雨の中を走り出した。

「まったく…出撃があったらどうするつもりなのだっ」

ぶつぶつ言いながらも途中買い物をして速水の家へ向う。

幸い大家が近くに住んでいたので事情を話して鍵を借りた。

彼のアパートに着いたのは20時を回っていたが、部屋の明かりは点いていない。

(まだ寝ているのか…)

鍵を開けて部屋に入り、そっと彼の様子を伺った。

ベッドに横になる速水は熱が高いのかずいぶん汗をかいているようだ。

額に手を当てるとまだ少し熱い。

彼が制服を握り締めているのに気が付いたが、起こさずに先に食事の用意をする事にした。この分だと何も食べていないに違いない。

(無茶をするからだ、馬鹿)

舞は買いこんだ食材で雑炊を作り始めた。

 

瞼に当たるかすかな光に速水は目を覚ました。

台所と部屋を区切るガラス扉の向うに明かりが点いている。

「誰…?」

彼はベッドから身体を起こした。ずっと寝ていたせいでだるい。

立ち上がろうとした時ガラス扉が開いた。

「目が覚めたか」

「え?何で舞がここにいるの?」

舞が近寄り速水の額に手を当てる。

「熱は…少し下がったようだな」

「舞?」

「仕方なかろう。私のせいでお前が熱を出したのだから…こ、このくらいは…」

「心配して来てくれたんだ。でも、鍵は?」

「事情を話して大家に借りた」

「そう…」

「雑炊を作っている。少し待つがいい。起き上がれるならその間に着替えるがよかろう」

「うん、有難う」

「ところで、何故制服など抱いているのだ?」

「え?」

その時初めて彼はまだ制服を掴んだままなのに気づいた。

「その…寝てたら、落ちてきた…」

「そうか」

彼女は速水から制服を受け取り、フックへと掛けた。

(舞の事考えてた…何て言えないよな…やっぱり)

 

舞が雑炊を作っている間に着替えた速水はベランダの戸を開けた。

火照る身体に冷たい外気が気持ちいい。

「まだ…雨、降ってるんだ」

出来上がった雑炊を運んで来た彼女に尋ねる。

「昨日…寒くなかった?舞は大丈夫?」

「見ての通りだ。人のことより、自分の心配をせよと言ったはずだが」

「だって…」

「パイロットが身体を壊してどうするのだ」

「そう…だね…」

彼女はやはり自分をクラスメート以上には思ってないのかも知れない。

でも、わざわざこうして見舞いに来てくれた事に淡い期待をしてしまう。

(パイロット、か…)

押し黙る速水を舞が促す。

「何も食べていないのだろう?味はともかく、栄養はあるから食べるがいい」

「うん」

 

彼女の作った雑炊は美味しかった。

もとより自分の為に作ってくれた…と言うだけで十分に嬉しかったので彼は残さずに全て食べた。食後に薬を飲んで再びベッドに横になった速水の額に舞が手を当てる。

「舞の手…冷たくて気持ちがいい」

「まだ少し熱があるのかも知れぬ。ゆっくり休むがいい」

言いながら彼女が速水の髪をかき上げる。

彼は舞を見て微笑んだ。

「何だ?」

「ん、嬉しいなと思って」

「う、ううう嬉しい?」

「君が来てくれた事」

「だだ、だからそれは私のせいで…」

「それでも嬉しい」

「へ、変な奴だ」

舞が赤くなりながら横を向く。

「ねぇ、今度、デートに行こうよ」

「えええっ?!」

「こうやって、君と二人だけで一緒にいたい…」

「お、おおおおお前は熱で頭が変になってるのではないのか?」

「そうかも知れない。でも…」

彼女の様子を伺うように速水が続ける。

「駄目?」

「そっ、そそそそのデェトなるものは…ど、どどどうしてもと言うなら…」

「うん?」

「い、行ってやらぬでも…ない、ぞ」

耳まで真っ赤になって照れる彼女が可愛いくて仕方が無い。

「楽しみだな。何処へ行こうか…」

「そ、そんな事より、早く休め」

話をそらすように彼女は布団を肩口まで引き上げた。

「今は早く良くなる方が先だ。そなたは病人なのだぞ。わかってるのか」

「病気って言っても、熱が少し出ただけで…」

「馬鹿、それだけでも休むには十分な理由だ。もっと自分を大事にしろ」

「…僕がパイロットだから?」

「そうだ。それに…」

「それに?」

舞は答えず、うつむいた。

速水がそんな彼女をじっと見つめる。

 

今なら言えるような気がした。

ずっと言えなかった思いを。

彼女の言うように熱のせいかも知れない。

でも、自分の気持ちに偽りはないから…速水はその言葉を口にした。

 

「僕…好きだよ、舞のこと」

 

舞が速水を見る。戸惑うような瞳。

彼はその瞳をまっすぐに見つめて続けた。

 

「舞は僕のこと、好き…?」

 

沈黙が降りる。

かすかに雨の匂いがした。

先ほど彼がベランダの戸を開けた時に滑り込んできたのかも知れない。

舞は昨日の雨を思い出した。

濡れてずいぶん寒かった。

彼が貸してくれた制服が暖かくて、嬉しかった。

でも本当に嬉しかったのは…新井木にではなく、自分に貸してくれたこと-

 

「私が…私の事が…すす、好きだなど…お前はどうかしている…」

消え入るような声でつぶやく舞。

 

彼女が素直じゃない事はよく知っている。

拒否されなかったということは、もしかすると…

 

「やっぱり、熱のせいかなぁ…」

「な、なな何っ?!そ、そなた私をからかってっ」

怒り出す彼女に彼が笑う。

「キスしたいけど、風邪移っちゃうね」

「?!?!?!」

「風邪が直ったら…キスしてもいい?」

「ば、ばばばばばば馬鹿者っ」

彼女は彼の頭まで布団を被せて両端を押さえ込んだ。

「わ、ちょっと、何するのっ」

「う、うるさいっ、もう寝ろっ。鍵は掛けておくっ」

「苦しいよ、舞」

「うるさい、うるさいっ」

「止めてってばっ、息ができないよっ」

じたばたもがく速水に舞はようやく手を離した。

「もう、ひどいな。僕のこと病人だって言ったの舞だよ?」

「それだけ元気ならば問題はあるまいっ」

布団から顔を覗かせた速水を一瞥して彼女が立ち上がった。

「薬も飲んだし、とっとと寝ろっ。帰るっ」

「ね、もう少しだけいてよ。僕、今とても幸せな気分なんだ…」

「ね、熱のせいだろうっ。変な事ばかり言うなっ」

「違うよ。舞がここにいるから」

彼女が速水を振り返る。

自分に向けられる穏やかな瞳に舞はそこから動けなくなった。

 

「明日、晴れるといいな」

「な、何故だ」

再びベッドの脇に座り込んだ彼女を見て、速水はゆっくり目を閉じた。

「秘密。教えない…」

 

 

* * * * * *

 

 

二日続いた雨も止み、その日は朝から快晴だった。

学校へ来た速水は校舎外れを歩く舞に気づき声を掛けた。

「おはよう、舞」

「も、もう大丈夫なのか」

「うん、早めに休んだし、すっかり元気だよ。舞がお見舞いに来てくれたしね」

「そそ、そんなつもりは…」

たわいも無い会話を交わしながら教室へ向う。

 

いつものように授業が始まり、いつものように昼休みなった。

昼食を取りに教室を出てゆくクラスメート達をぼんやり見ていた舞に速水が声を掛けた。

「お昼一緒に食べない?」

「かまわぬぞ。何処へ行くのだ」

「天気がいいから屋上で食べようよ」

「わかった」

二人で昼食を取るのは初めてだった。

彼らは屋上の椅子に腰掛けて弁当を広げた。

「ねぇ、昨日の事だけど…」

速水の言葉に舞の心臓が跳ね上がる。

「返事…聞かせてくれる?」

「なっ、何の返事だっ。デ、デデデェトの事なら、き、昨日ちゃんと…」

「そうじゃないよ」

彼は視線を空へ向けた。青空を雲が横切ってゆく。

「『舞が好きだ』って言ったこと…」

「…」

彼女はうつむいたまま答えない。

「舞?」

「あ、あああれはそなたが熱で…」

「熱のせいなんかじゃないよ。僕、ずっと舞が好きだった。出会ってからずっと…」

速水は彼女の横顔をじっと見た。

「僕のこと、好きになってくれる?僕じゃ…駄目?」

「…お、お前がどうしても…と言うなら…」

「『どうしても』だよ」

「…」

舞は膝に置く弁当箱を見つめた。昨日から調子が狂いっぱなしだ。

ぼんやり箸を弁当に伸ばすその視界が突然速水の顔で遮られた。

瞳いっぱいに映る彼の顔。

「は、ははは速水っ?!」

「…風邪が直ったらって言った」

「あ、あれはそなたが勝手にっ」

「舞は『駄目だ』って言わなかったよ?」

「!!」

彼女は真っ赤になって速水の頭をぺしっと叩いた。

彼がくすくすと笑い出す。

「舞は本当に素直じゃないよね」

「う、うるさいッ。貴様にそのような事を言われる筋合いはないっ」

「僕、舞のそういう所が好き」

「ば、ばば馬鹿者っ」

「ねぇ、僕のこと『厚志』って呼んでよ」

「え?」

「『速水』じゃなくて、『厚志』。言ってみて?」

「……あつ…し…」

彼は静かに微笑んで再び顔を近付けた。

速水の髪がうつむく舞の額に掛かる。

 

ポツン。

「雨?晴れてるのに」

見上げる空から一気にパラパラと雨が降り出した。

「わっ、本降りになってきたっ」

速水は彼女の手を掴んで階段を駆け下りた。

そのまま走って教室へ飛び込む。

「濡れちゃった?」

「大したことはない」

言いながら制服の雫を払う舞を速水が振り返る。

「…制服、貸してあげようか」

「い、いらぬ。また熱を出したらどうするのだ」

「その時はまた舞に看病してもらうよ。昨日の雑炊、美味しかったし…」

「ばっ、馬鹿っ」

彼らと同様に雨を避けて駆け込んできたクラスメート達の声が教室に響く。

それを聞きながら速水は舞に優しい瞳を向けた。

「僕の制服、もう君だけのものだから」

舞がハンカチを握り締めて彼を見る。

「ずっと前から…君だけのだったけど、ね」

 

 

「あ、見て虹!」

誰かが叫ぶ声に窓の外を見ると、青い空に大きな虹がかかっていた。

雨上がりの神様のプレゼント。

「綺麗だね…」

独り言のように速水がつぶやく。

その横顔に舞は少しはにかみながら微笑んだ。

 

 

END

 

2001/6/30