君の為に

 

 

 

バサバサと鳥たちが飛び立った。

 

僕は彼らに投げていたパン屑を一気に地面に撒き、ベンチから立ち上がった。

 

空を見上げて飛び去る軽やかな翼を目で追う。

 

翼。

 

彼女には翼がない。もう、何処へも行けない。

 

 

 

「竜師、こんな所にいらしたのですか。会議が始まります」

 

ふいに背後から掛けられた声に返答せず、そのまま歩き出す。

 

「どちらへ」

 

「打ち合わせにはお前が出てくれ。決議は先日の指示どおりだ」

 

「わかりました」

 

慇懃な声で短く答え、背後の気配が遠ざかる。

 

僕は5月下旬の青空の下、少し汗をかきながら彼女の元へ向った。

 

彼女。芝村舞。愛しい僕のカダヤ。

 

彼女を思い、知らず知らず笑みが浮かんだ。

 

堅苦しい会議などは部下達に任せておけばいい。そのために彼らを部下にしたのだから。

 

僕の全ては彼女の為に。

 

 

 

公園を出てタクシーを捕まえ、目的場所を告げる。

 

東京都内のとある大学病院の前で車が止まった。

 

僕は受付を素通りしてエレベーターで7階へと上がった。

 

通いなれた廊下を歩き、目的の病室の扉を開ける。

 

「会いに来たよ。変わりはない?」

 

声を掛けてベッドに近寄る。

 

舞は瞳を閉じて眠っていた。あのときからずっと目を覚まさない。

 

 

 

 

 

2年前。

 

自然休戦を前に起こった最終決戦。

 

絢爛舞踏である彼女は茜と共に騎魂号を駆り、その決戦に挑んだ。

 

戦いは熾烈を極め、最強の敵を前に騎魂号は大破した。

 

でも、みんなの思いが、彼女の思いが、再び騎魂号を奮い立たせた。

 

わずかに残った力を振り絞り彼女は戦い、勝利した。

 

歓喜に沸きあがる声の中、大破した機体に駆け寄って彼女を助け起こした僕は愕然とした。

 

機体以上に怪我が酷い。原さんが止血をして、舞と茜は病院へと運ばれた。

 

最高のスタッフに治療を受けて幸い彼らは一命を取り留めた。敵だった彼も。

 

戦争も終結し、万事がうまくいくはずだった。

 

しかし-

 

みんなが徐々に回復していくのに、舞だけが身体の怪我が治っても意識が戻らなかった。

 

「どうしてっ」

 

「わかりません。脳波に異常はないのですが」

 

詰め寄る僕に医師は困惑した顔をした。

 

「精密検査をしてみます。でも、あまり期待はされないように」

 

慰めにもならない言葉を残して去って行く。

 

僕は病院の廊下に一人残され、唇をかみ締めた。

 

 

 

あれから随分と時が経った。

 

決戦後に突如姿を消した幻獣たちに政府は国策の建て直しを始め、軍の再統合により前線部隊は解散した。

 

それに伴い僕は芝村元竜師の直属の部下として、今、軍の関東中央本部にいる。

 

 

 

 

 

「舞」

 

つぶやいて彼女の髪をかき上げた。

 

もう目を覚ますことはない、と医者に言われた。でもそんな事はどうでもいい。

 

彼女がここにいさえすれば。

 

僕にとって必要なのは彼女だけだ。

 

「ずいぶん痩せちゃったね。ちゃんと食べなきゃ駄目じゃない」

 

乾いた唇を指で撫でて額に口付ける。

 

本当は、彼女の腕に刺さる点滴のチューブが見えていたけれど。

 

僕はそれを静かに引き抜いた。彼女を連れ出すのに邪魔だから。

 

「天気がいいんだよ?たまには外に出なくっちゃ」

 

舞を抱き上げ部屋を出る。

 

検診の時刻だったが、いつものことだ。

 

忙しい僕に時間を選んでいる余裕はない。

 

おおめに見てくれるといいな、とぼんやり考えながらエレベータに乗って屋上へ向った。

 

 

 

その頃、入れ違いにやって来た看護婦が空のベットを見てつぶやいていた。

 

「また勝手にお連れになって…困った方だわ」

 

言いながらも彼女はシーツの皺を伸ばして微笑んだ。

 

「今日は天気がいいから、舞さんも楽しまれるでしょう。こっちの手間は掛かりますけどね」

 

彼女は投げ出された点滴の針を片付けて窓の外を見た。

 

(お見舞いにくるのは『彼』だけだものね)

 

彼女は自分を患者の担当看護婦として他病院から引き抜いた少年の顔を思い出した。

 

まだ17歳だというのに『竜師』にまで昇りつめた少年。

 

光を放つ青みかかった黒い瞳が印象的だった。

 

「…仕方ないわね」

 

つぶやいて彼女は検診表を手にして病室を出て行った。

 

 

 

屋上は渡る風が気持ち良かった。

 

僕は彼女を腕に抱いたままフェンスのコンクリートに腰を降ろした。

 

「ね、いい天気でしょ?今度お弁当持ってどこかに出かけようか」

 

返事が無いのはわかっていたがそのまま彼女に話し掛ける。

 

「前みたいに公園で食べようか。あ、博物館や美術館もいいね。人も少ないし、静かだよ。舞は何処に行きたい?」

 

腕の中の舞は子供のように眠っている。

 

「何も言わないなら、勝手に決めちゃうよ?」

 

僕は彼女の柔らかい髪をそっと撫でた。

 

「眠り過ぎてもう起きられない?」

 

問いかけに返事はなく…僕は笑って彼女の頬を優しく包んだ。

 

「お姫様を目覚めさせるのは王子のキスと決まってるんだよ」

 

静かにささやいて唇を重ねる。

 

でも-

 

舞の魔法は-解けたりは、しない。

 

 

 

僕はぎゅっと彼女を抱き締めた。

 

「ねぇ、約束したじゃない。いつか結婚しようって。僕、もうすぐ18になるよ」

 

「君と結婚できるんだよ。嬉しい?」

 

覗き込む瞳は固く閉じられて…そのあどけなさの残る寝顔に胸が締め付けられた。

 

「舞、舞…」

 

何故司令になどなってしまったのか。

 

あの時、舞が最終決戦に出向いた時、司令の僕はその後ろ姿を見送ることしか出来なかった。

 

熊本城では共に戦い、一緒に生死を分かち合ったというのに。

 

互いに抱き合い鼓動を感じて心から喜び合ったと言うのに。

 

結局、彼女を一人で行かせてしまった。

 

自分が絢爛舞踏章を手にすれば良かったと激しい後悔の念が湧き上がる。

 

嗚咽が漏れた。

 

軽くなってしまった彼女を抱き締めてうつむく。

 

 

 

『限界が近い』と主治医が言っていた。

 

自ら栄養を摂取できない彼女は輸血や点滴だけではもう長くは生きられない。

 

涙があふれた。その雫が彼女の頬に落ちた。

 

「約束、守るから。舞に素敵なウエディングドレスを用意するよ」

 

愛しさを込めて彼女の頬に落ちた涙をふき取る。

 

「だからそれまで…そばにいて…」

 

囁く声がかすれる。

 

止めようとしても身体が震えていうことをきかなかった。

 

続ける言葉は、嗚咽に飲み込まれ声にならなかった。

 

 

 

(お願いだよ、舞…)

 

 

 

 

 

* * * * * *

 

 

 

 

 

舞を見舞ってから2週間程忙しくしていた僕は、その日の夕方ようやくアポイントメントを取って上官の元を尋ねた。

 

敬礼して室内に入った僕は彼を見つめて切り出した。

 

「お話があります」

 

「何だ」

 

「舞と結婚したいんです。今すぐに」

 

「馬鹿な。死んだも同然の人間とそのような事をして何になるというのだ」

 

彼は面倒くさそうに僕を見た。

 

芝村勝吏、現軍関東中央本部元竜師。

 

絢爛舞踏である舞を自分たちの手駒として扱った芝村一族でもある。

 

「お前もわかっているだろう。我々にはやらねばならぬ事が沢山ある。アレに関っている暇があるなら反政府組織の撲滅作戦をまず成功させて…」

 

「結婚が無理なら、婚約だけでもいいんです」

 

言葉を遮った僕を彼はうるさそうに一瞥した。

 

「芝村である以上、自分の責務を優先させろ。そのためにお前はここにいる」

 

「…」

 

「それに、お前はゆくゆくは我らの中核になるべき人物だ。期待を裏切らんでくれたまえ」

 

「ではご許可はいただけないと」

 

「当然だ。お前にはしかるべきふさわしい相手を選ぶ。アレのことは忘れろ」

 

冷たい言葉が突き刺さる。

 

忘れろだって?舞を?

 

僕がここにいるのはお前や芝村の為なんかじゃない。

 

彼女の為にいるんだ。

 

僕にとって『しかるべきふさわしい相手』は舞しかいない。

 

「話はそれだけか。ならもう行くがいい」

 

黙り込む僕に彼はそっけなく言ってデスクに視線を落とした。

 

「お時間を取らせて申し訳ありませんでした。失礼します」

 

震える拳を堪え、敬礼をして身を返す。

 

「速水竜師」

 

ドアを開きかけた僕にふと彼が声を掛けた。

 

振り返ると芝村特有の目でこちらを見据えている。

 

「言っておくが、芝村を甘く見んことだ」

 

「…わかっています」

 

僕は一礼をして部屋を出た。

 

 

 

 

 

芝村のやり方はよく知っていた。これまで僕もそうして生きてきたから。

 

でも、僕は-

 

無性に舞に会いたかった。

 

会って彼女を抱き締めたかった。

 

執務室に戻っても仕事が手に付かず、部下に指示して部屋を飛び出した。

 

タクシーに飛び乗り、彼女の元へ向う。

 

2週間も会っていない。舞の容態が気がかりだった。

 

途中僕は宝石店に寄って指輪を買い、病院へと急いだ。

 

 

 

受付で舞の主治医・高平医師を呼び出す。

 

エレベータホールでやって来た彼と会った。

 

「高平先生、舞の容態の事ですが」

 

「思わしくないですね。あれではいつ心臓が止まってもおかしくはない」

 

彼は僕の視線を避けるように足元を見て続けた。

 

「衰弱が激しすぎるのです。意識をなくしてから2年近くも経ちますし、これ以上の延命治療は…」

 

言葉を濁す彼に僕は拳を握り締めた。

 

約束の日まで彼女は生きられないかも知れない。

 

僕はポケットに忍ばせた小箱を押さえて声を絞り出した。

 

「先生に折り入ってお話したい事があります」

 

「わかりました。執務室へどうぞ」

 

 

 

彼に連れられて別棟の執務室へ移動する。

 

部屋に入った途端、僕は即座に口を開いた。

 

「彼女が『モノ』だという事は知っています」

 

「何ですか、いきなり」

 

椅子に座る動きを止め、振り返って高平医師が凝視する。

 

僕は彼の視線を正面から受け止め、静かに告げた。

 

 

 

「子供が欲しいんです」

 

 

 

「僕と舞の子供が欲しいんです」

 

 

 

その言葉に彼は少し眼鏡の位置を直した。

 

「体外受精をご希望される、と解釈してよろしいのでしょうか」

 

僕は頷いた。

 

「彼女は長く生きられない。でも、それが可能なら彼女の記憶を残す事が出来る」

 

「おっしゃることはわかります。しかし、元竜師が何と言われるか…」

 

「彼に言う必要はありません。僕の一存でお願いしています」

 

高平医師の瞳をじっと見る。

 

「お願い、出来ますね?」

 

表情を殺して見つめる僕に彼は視線を反らした。

 

何ごとか思案するように指であごをなぞっている。

 

おそらく技術的な事…というより今後の身のあり方についてだろうことは想像できた。

 

しばらくして彼が重い口を開けた。

 

「検査をして見ます。しかし、駄目な場合も…」

 

「先生に限ってそのような事はないでしょう。期待していますよ」

 

最後まで言わせずに、高平医師へ冷酷な笑みを向ける。

 

それが何を意味しているのか、長年芝村の側で働いていた彼は瞬時に理解したようだった。

 

「わかりました。最善を尽くしてみます」

 

「お願いします」

 

短くそれだけ言って僕はドアへと向った。

 

ノブを回しながらふと振り返る。

 

「先生」

 

デスクに視線を落とし何か考えていた医師が顔を上げる。

 

「他言は無用ですよ。元竜師にも、他の人にもね」

 

黙って彼がうなずく。

 

「では、いい報告をお待ちしています」

 

 

 

僕は急いで舞の部屋へ向った。

 

静かな廊下を駆けて彼女の病室のドアを開ける。

 

室内は暗かった。

 

消灯時間にはまだ早いが、眠り続ける彼女に明かりは必要ないということか。

 

自嘲気味に少し笑って、僕は部屋のカーテンを一杯に開いた。

 

窓の向うに青白い月が浮かんでいる。差し込む光が室内を照らした。

 

眠り姫の側に腰掛けて寝顔を覗く。それから、手を伸ばしてそっと髪を撫でた。

 

彼女がいなくなるなんて考えられない。

 

でも、現実は-

 

 

 

「しばらく来れなくてごめんね」

 

やつれた面差しをじっと見つめる。

 

呼吸が困難な為、酸素マスクをしている彼女にもう目覚めのキスは出来ない。

 

代わりに手を取り口付けた。指を絡めて強く握る。

 

舞の手はとても冷たかった。

 

でも、こうしていれば僕の体温を分けてあげられるから。

 

言葉は届かなくても、温もりを感じて。

 

僕がいつも君を思っている事を…感じて。

 

 

 

「ねぇ、赤ちゃんが生まれるかもしれないよ」

 

髪を撫でながら悪戯っぽく彼女の耳元で囁く。

 

「先生にお願いしたんだ。連れてくるのはコウノトリじゃないけど」

 

本当は君に生んで欲しかった。

 

それでも-

 

「名前考えなくちゃ。舞はどんなのがいい?」

 

彼女を見つめて返事を待つ。しかし、答えは…ない。

 

「ねぇ、女の子だったら、『舞』って付けていい?君と同じ『舞』」

 

僕は彼女に微笑んだ。

 

「世界で一番好きな名前だから」

 

眠る彼女が笑った気がした。それは月の見せた幻影かもしれないけれど-

 

「舞…」

 

彼女の手を両手で包み、祈りを奉げる。

 

「だから…だから、僕を一人にしないで…」

 

つぶやく声が微かに震えた。

 

 

 

「君が遠くへ行ってしまうというなら…」

 

 

 

「せめて…君の記憶を受け継ぐ命を…僕に残して…」 

 

 

 

僕は祈る。

 

彼女に-

 

世界に-

 

生まれてくる新しい命に-

 

 

 

「それだけで…いいから」

 

 

 

 

 

君には何もしてあげられなかったけど…

 

 

 

「あのね、指輪、持ってきたんだ」

 

僕は彼女に笑ってポケットから小さな箱を2つ取り出した。

 

シーツに並べて置き、蓋を開ける。

 

「マリッジリングだよ」

 

絡めていた指を離して彼女の指へ指輪を入れた。続いて自分の指にも指輪を入れる。

 

舞がこのまま目覚めなくても-もう僕達の約束は永遠に違えられることはない。

 

「ねぇ、見て。約束の指輪」

 

彼女の手を枕もとに近付けた。自分と彼女の指輪を並べて見せる。

 

「綺麗でしょう?」

 

並んだ指輪が月の光に反射して鈍く光った。

 

彼女の細すぎる指にそれは少し大きくて…

 

切なくて…胸が、痛い。

 

 

 

「ずっと一緒にいるよ…」

 

 

 

つぶやいて、ぎゅっと冷たい手を握り締める。

 

たった一人の愛しいカダヤ。

 

たとえ君がいなくなっても-

 

いつも君と共に-

 

 

 

滲む視界の向うで眠る舞。

 

月に照らされたその眠りが安らかであることを心から願う。

 

 

 

「ずっと側にいるから」

 

 

 

「安心してゆっくりお休み」

 

 

 

微笑む頬に涙が流れた。

 

小さな雫がいくつもシーツの上に落ちる。

 

 

 

僕は舞の手を胸に抱いて目を閉じた。

 

 

 

今は-ただこうしていよう。

 

君と僕の記念日を二人で祝おう。

 

月の光の世界に君と僕しかいないのだから。

 

 

 

 

 

この世界の全ては、君の為に-

 

 

 

僕の全ては、君だけの為に-

 

 

 

 

 

 

 

END

 

 

 

 

 

 

 

2001/7/25