-君の香り-

 

 

ある日曜日の午後。

速水と舞は士魂号の整備の後、図書館へ来ていた。

 

「えっと、調べ物はもう済んだの?」

「ああ、そなたが手伝ってくれたお陰で早く終った」

 

山と積まれた書籍の向こうで、何やらメモを取り終えた舞が速水に視線を向ける。

 

「じゃあ、これから新市街に行かない?」

「新市街?」

 

(デートという訳ではないけど、二人でいられる時間を思う存分謳歌しないと。)

そう胸中で思う彼の意図を知ってか知らずか

 

「よかろう」

と舞は機嫌よくOKした。

 

 

* * * * * *

 

 

「で、どうするのだ?」

並んで市街を歩きながら舞が問い掛ける。休日とあって人出も多い。

 

「ちょっと買いたい物があるんだ。ドラッグストアなんだけど」

「ドラッグストア?」

「うん」

 

速水は商店街の一角にある派手な看板のドラッグストアに入った。舞もその後に続く。

 

「何を買うのだ?」

「歯ブラシの替えを買っときたくて。それと…」

速水は手に持つ籠に無造作に歯ブラシを2つ放り込んで舞を振り返った。

 

「舞の使ってるシャンプーってどれ?」

「何だ?」

 

いきなりの問いにいぶかしみながらも、舞がとある棚に並んだシャンプーボトルを指す。

 

「ふーん、これ?」

言いながら近づき、速水は確かめるようにラベルを読んで一つ籠の中に入れた。

 

「どうするのだ?そんなもの」

「使うに決まってるじゃない。その為に買うんだから」

「そ、そなたがそれを使うのか?」

「うん」

こともなげに返答して速水は舞ににっこり笑った。

 

そもそも、彼の籠に入ってるシャンプー剤はフローラルの香りである。

舞にしてみれば、リンス剤を使うのが面倒で一度に洗えてリンス効果のある、それでもってたまたま目に付いた物を使用しているに過ぎなかった。

それを何故、奴がわざわざ買って使うというのだ?

 

いぶかしむ舞に速水はくすりと笑って、彼女の髪に顔を近づけた。

 

「こうして舞の近くにいるとね、すごくいい匂いがするんだ」

 

人目をはばからず、肩を抱き寄せて顔を近づける速水に舞は驚いて真っ赤になった。

 

「ば、ばか、離せっ」

 

くすくす笑って速水が舞を見る。

 

「ぼく、その香り好きだから」

「それで同じ物を使うというのかっ?!」

「そうだよ。いけない?」

「いけなくは、ない。ないが…何も同じでなくても…」

「僕は同じがいいの。だから気にしないで」

「し、しかし…」

とごにょごにょとつぶやく舞をその場に残して速水は籠を持ってレジへ向った。

 

 

* * * * * *

 

 

「うん?何だ?」

 

翌朝、速水が教室へ入るなり瀬戸口が速水に寄って来た。

 

「今日はえらく甘ったるい香りさせてるじゃないか」

「シャンプー剤変えたの」

 

楽しそうに鞄の中身を机に入れる速水に瀬戸口が尋ねる。

 

「で?姫さんと同じ香りってのは?」

さすが愛の伝道師、気付く辺りは抜かりが無い。

 

「僕、この香り好きだから」

 

にっこり笑う速水に瀬戸口はやれやれといった感じで大袈裟に肩を竦めた。

 

「香水の残り香が移るってのは艶かしいが、あえて自分から同じ香りにするか、ふつー?」

「いいじゃない、気に入ってるんだから」

「『気に入ってる』のは、その『香り』じゃないだろ?」

 

言いながら瀬戸口の視線が速水の席の後ろの舞に向く。意味深な視線に舞は焦った。

 

「な、なな、なんだ、瀬戸口っ」

「そういう意味だよ。なぁ、速水」

「あはは…」

 

笑ってごまかそうとした速水を次々に教室に入ってきた面子が事態に気づいて寄って来ては野次る。

 

「はぁ、ようやりまんな。おそろいで」

「ふ、不潔ですっ」

「変わった趣味してんな、お前」

 

舞は真っ赤になって横に立つ速水の頬を思い切り引っ張った。

 

「ひ、ひひゃい、ひひゃいほ~」

「恥をさらすな、この馬鹿者めッ」

 

その日一日、この件で速水と舞は何かというと皆に野次られた。

 

 

 

 

「ついてくるな、馬鹿!」

「僕もハンガーに行くんだけど」

 

放課後、ハンガーに向う舞の後を速水が追いかけるように歩く。

 

「そんなに怒らなくてもいいじゃない。たかがシャンプーの香りくらいで」

「その『たかがシャンプーの香り』にこだわってるのはどっちだっ!」

舞は振り返って速水を睨んだ。

 

「皆の前で大恥をかいた。そなたのせいだぞ!」

「そんな事言ったって、同じにしたかったんだもん」

 

悪びれずに速水がさらりと本音を漏らす。

 

「どうして同じじゃいけないのさ?」

「そ、それは…」

「うん?」

 

問いかける速水に舞は消え入りそうな声でつぶやいた。

 

「わ、私は、以前のそなたの方が、よかった…」

「え?」

速水は驚いたように舞を見返した。

 

何の変哲も無い男性用のトニック系整髪剤だとは思う。

でも、それは出合った最初からずっと舞が速水の香りとして五感に残る記憶で…

 

「そ、そなたは…以前の方が、よい…」

「舞は前のが好きだったんだ?」

「す、好きとかそういうことではなくて、ええと、その…」

 

言い淀む舞に速水は自分のサイドの髪をつまみながら嬉しそうに微笑んだ。

 

「舞が好きなら、前のに戻すよ。今日一日は仕方ないけど」

「だ、だから、そういう意味では…」

 

真っ赤になって必死に言い訳するのを聞きながら、速水はくすりと笑って言った。

 

「残ったのは僕の家に置いて置くから、泊まりに来た時に使って」

「えっ?!」

「歯ブラシもちゃんと買っといたし、いつ泊まりに来ても大丈夫だよ」

 

一瞬何のことか分からずにポカンとする舞。

 

「何故、そなたの家に泊まりにくのだ?」

「舞の香りを楽しむためだよ」

「??」

 

事情が飲み込めない彼女に速水が小さくウィンクした。

 

「今度、舞の残り香、僕に付けてね?」

「!!!!!」

 

ようやく意味を解した舞はこれ以上ならないくらいに真っ赤になった。

 

「たた、たわけた事を抜かすのはこの口かぁぁぁぁぁっ!」

「ひひゃいっへは~」

「うるさい、うるさい!!二度とそのような事を言えない様にしてやるっ」

舞は赤くなったまま更に思い切り速水の頬を引っ張った。

「まひ~~~~っ」

 

「まーだやってるのか、あの二人」

「でも、あっちゃんとまいちゃんは、なかよしなのよ」

「まあな」

(手ごわい相手に惚れちまったもんだ)

一緒に仕事に向うののみに相槌を打って、瀬戸口はやれやれと肩をすくめた。

 

 

* * * * * *

 

 

しかして。

速水の買ったシャンプー剤と歯ブラシを舞が使用したかは当の本人達しか分からなかった。

しかし、それ以後速水が時々愛しそうに舞を見る回数が増えたことは確かだったようである。

 

 

 

 

END

 

2002/5/07