猫と君と僕と

 

 

戦闘も無く、穏やかな一日の授業が終了した放課後の教室。

「みんな、こんど遊びに行こうぜ!」

と珍しく滝川が居並ぶ僕らに声を掛けた。

「そうか。わかった」は瀬戸口。

「…いいわよ…」と小さな声で言ったのは石津。

そして。

「どうした?」

滝川が黙り込んだ僕(速水厚志)と舞に問い掛けた。

「えっとね…」

言葉を濁して隣に立つ舞を見る。

毎週日曜日は彼女が僕の家へやってくるのだ。

先週も送った帰り『来週も来て』と言った僕に『必ず行く』と彼女は言った。

だから舞は今度の日曜日も僕の家に来る。

 

「何だよ、嫌なのかよ。せっかく親友の俺が誘ってんのにさ?」

「そうじゃなくて、その…」

「私も、その…」

二人して黙り込む。

「デートの約束でもあるのか?」

と言う瀬戸口に滝川が僕らを見て肩を竦めた。

「ちっ、いいよなぁ、彼女がいる奴は」

「そ、そそそうではない」

「じゃあ、何でさ?」

「そ、それは…」

舞が言葉に詰まって口ごもる。

秘密にしていた訳じゃないけど、からかわれるのが嫌でずっと内緒にしてた事。

「あのね…舞、僕んちの猫に会いに来てるんだ。毎週日曜日」

「え?毎週二人っきりで猫と会ってるって?」

うう、そういう言い方って誤解を招くよ、滝川っ。

「ち、ちち違うっ。私は純粋に猫と会っているだけだっ。厚志とは何も…」

ほらね。舞は慌てて僕と一緒にいることを否定しちゃったじゃないか。

「猫か…」

ポツリと瀬戸口がつぶやく。

「お前んち仔猫がいるんだっけ?」

「うん」

「それなら、猫も同伴でみんなで遊びに行くってのはどうだ?」

その提案に『いいわ…ね」』とすぐに石津が賛成した。

「俺は別にかまわねぇけど?」

滝川も異論は無いようだ。

「お前らは?」

尋ねる瀬戸口に僕と舞は顔を見合わせた。

「…いい?」

「わ、私は猫がいれば…どこでもよい」

猫がいれば、か。僕はどうでもいいのかな、やっぱり…。

「…それじゃ、みんなでピクニックに行こうか」

「よっしゃー、OK!」

ため息を付きながら答えた僕に滝川が元気に叫んだ。

 

こうして、その週末みんなで公園に行くことになった。

 

 

* * * * * *

 

 

日曜日は朝からいい天気だった。

「厚志、早くしろ」

迎えに来た舞が玄関先で待っている。

「待って、みんなのお弁当作ったから」

僕は慌ててサンドイッチやら卵焼きやらをバスケットに詰め込んだ。

なー。みぃー。

手に持つ大きめのバスケットがガサゴソ動いて彼女が慌てて持ち直す。

「こら、危ないではないか。しばしの辛抱だ。おとなしくしろ」

「みんなどこに行くのか不安なんだよ。こんなのに入れられたのはじめてだしね」

言いながら僕は玄関へ行き、彼女が持っていたバスケットを受け取るとお弁当の入った方を舞に渡した。

「急ごう。みんなが待ってる」

「そなたがぐずぐずするからだ」

「はいはい」

彼女の背中を押して外へ出る。僕らは急いで待ち合わせの校門へ向かった。

 

「待たせた」

「おせーぞっ!」

校門へ着いた途端、滝川の文句が出迎えた。既にみんなは集まっている。

「ごめん」

息を切らせながら答えて、僕はゴソゴソ動くバスケットを落とさないように持ち直した。

「ところで何でバスケット2つも持ってんだ?」

と尋ねる滝川。

「えっと、一つは仔猫、もう一つはみんなのお弁当」

言いながら僕と舞のバスケットを指差す。

「私も…お弁当…持ってきたわ…」

控えめな声で言うと石津も手に持つ紙袋を指差した。

「やりぃ。豪勢な昼食にありつけそうだぜ!」

「じゃ、揃ったところで早速行こうか」

瀬戸口の言葉を合図にみんなで公園へと歩き始めた。

 

 

休日の公園は戯れる子供達や家族連れで賑わっていた。

「シートを持ってきたから手伝って」

僕の呼びかけに男性陣が場所を確保する。大きな木の下の涼しい木陰だ。

なーん。にゃあぁ。

「わかった、わかった。今出してあげるよ」

ガサゴソと揺れるバスケットをシートに降ろして蓋を開けると、中から手品のように仔猫達が飛び出した。

「…5匹も…いるの…?」

「母猫を入れると6匹だよ」

目を丸くする石津に『うち、猫だらけなんだ』と苦笑する。

僕らは仔猫とお弁当を中心に車座になってひとまずシートに腰を降ろした。

僕の隣から舞、石津、瀬戸口、滝川。

初めて外に出た仔猫たちは見慣れない人間がいるので緊張してるのか遠くへは行かず、おっかなびっくりシートの上を歩き回っている。

「お、こいつ美人だな」

瀬戸口は目の前にやって来た仔猫を抱き上げて顔を覗き込んだ。

「お前、将来美猫になるぞ」

「師匠、猫まで口説くつもりッスか?」

「皆に分け与える愛は平等でなくちゃな」

「そうスか~?」

しれっと答える瀬戸口に滝川が『猫にまでって言ってもなぁ…』と首をかしげる。

「…この子たち…名前…は…?」

尋ねる石津に舞が歩き回る仔猫を指をさして説明する。

「ええと、銀河に祭、未央と陽平に大介だ」

「よ、ようへい~?!」

と叫んだのはもちろん滝川。

「お前、みんなの名前付けてんのか」

「うん。でね、母猫は『舞』って言う…いてててっ」

言いかけた僕の腿をいきなり舞がつねる。

「余計な事は言うなっ、馬鹿者っ」

「痛いじゃない~。本当のことなのに」

「うるさいっ」

舞は僕を睨むとぷいっと横を向く。

「そうか、未央ちゃんか~。よしよし、お兄さんと遊ぼうvv」

瀬戸口は仔猫に向かって『人間の未央とは違って可愛いね、お前はvv』などと言っている。

壬生屋が聞いたら即座に切り付けられそうだ。案外命知らずだね、瀬戸口くん。

「…可愛い…」

石津は寄ってきた銀河を膝に乗せて撫でていた。猫の扱いに慣れているのか、銀河も嬉しそうに喉を鳴らしている。

「俺、陽平。よろしくな、陽平」

滝川は仔猫に顔を近付けて何やら訳のわからない挨拶をしていた。

大介は舞の元へ、祭は僕へと寄って来る。

どの子も人間(と言っても僕と舞だけど)に慣れているので、結構仲良くやっている。

みんな思い思い仔猫を撫でていると、滝川と顔をつき合わせていた陽平がふいっと身を返して走り出した。

「あ、おい、どこ行くんだよ」

呼びかけに答えず彼は一目散に舞の膝に飛びつく。

にゃぁあ。

目一杯の愛想を振り撒いて彼女の膝によじ登った。

膝にいた大介と争奪戦でも起こさぬ勢いで舞の服にしがみ付く。

「こら、爪を立てるな」

なぁーん。

「おい、おい、何だよ。同じ名前同士、仲良くしよーぜ、陽平」

舞に甘える陽平を見て滝川が憮然として腕を組む。

「あはは。陽平はね、舞がお気に入りなんだよ」

「はぁ?」

「陽平だけじゃないね。この子達、みんな舞が好きなんだ。僕なんかよりずっと懐いてるよ」

「…そう…なの…?」

みんなの視線を集めて舞が戸惑うように僕を見る。

「そ、そんなことはないぞ。祭はそなたに懐いているではないか」

「祭だって僕より舞に懐いてるよ」

僕は少しすねる様に言い返した。

「だっていつも僕は放ったらかしで、舞は猫に夢中だし、猫は舞に夢中だもん」

本当は今日だってみんなでここに来なければ、家で猫と取り合っていたに違いない。

いつも彼女を独り占めしていたいのに。

「何だ、お前猫に焼きもちやいてんのか?」

「えっ?」

ニヤニヤする瀬戸口に慌てると

「そうか。放ったらかしか。そりゃ可哀相だなっ」

と滝川が陽気に僕の背中を叩いた。

「ど、どうでもいいじゃない。そんな事っ」

「よくないぞ。この際だからはっきりさせとこう」

「なな、なぬを言っているのだっ」

赤くなる舞に、滝川がニヤニヤと僕らを見比べる。

「あのね~」

と苦笑すると石津と瀬戸口が仔猫を撫でながらくすくすと笑った。

 

「少し歩かせてみるか。こいつら外は初めてなんだろ?」

「うん」

肩に未央を乗せた瀬戸口が立ち上がるのを機にみんなで仔猫を抱いて靴を履く。

今町公園は緑のあるパートと遊具・広場があるパートに分かれている。

僕らは少し歩いて柔らかい芝生の上に仔猫達を降ろした。

にゃーんっ。

最初に動き始めたのはやっぱり陽平。元気一番、怖いもの知らずだ。

初めて歩く土の感触に他の仔猫も戸惑いながらてけてけと歩き始める。

しばらくするとみんなは元気に飛び跳ね始めた。

仔猫同士じゃれあって寝転んだり駆け回ったり。

「陽平、大介、あまり遠くへ行くな」

「…おいで…祭…」

舞と石津が仔猫たちの世話を焼いている。

僕ら男性陣は近くの芝生に座ってその光景を微笑ましく眺めた。

「やっぱ、仔猫には可憐な女性に限る。絵になるよなぁ」

「瀬戸口、見るなら仔猫だけにして」

「んな事言っても目が勝手に…」

「舞は見ちゃ駄目」

手で瀬戸口の目を塞ぐ隣で

「あーあ、俺も彼女欲しい~。師匠、誰か紹介してくださいよぉ」

と滝川がため息を付いた。が、師匠こと瀬戸口はそれどころではないらしい。

「こら、速水。前が見えんっ」

「だから見なくていいのっ」

「やめろって、速水~っ」

叫ぶ瀬戸口に滝川のつぶやきは黙殺された。

 

「わあ、こねこだ!」

「かわいい!」

駆け回る仔猫達に気がついた子供達がはしゃぎながら近寄ってきた。

「だれのねこ?」

「ちいさい!」」

幼稚園くらいの少女が3人と少年が一人。

「ねぇ、ねこさん、なでてもいい?」

「よいぞ」

舞に尋ねた少女は近くにいた大介に手を伸ばす。

「そっと撫でてやれ」

「うんっ」

少女はしゃがみ込んで壊れ物を扱うように大介を撫でた。

にゃぁん。

「かわいいね?」

同意を求める少女に舞が微笑む。

(うわっ、可愛いっ)

舞の笑顔にときめいたりして。いつももっと笑うといいのに。

あ、でもあの笑顔も独り占めしたい…。

一緒にやって来た少年は舞の側で芝生に座って未央を撫でて歓声を上げている。

「わたしもなでたい!」

「わたしも」

「…いいわ…。こっち…よ…」

石津は笑って抱いていた祭と駆け回っていた陽平をそれぞれ女の子達の膝に乗せた。

「撫でて…みて?」

「うん」

「やわらかくて、ふわふわしてるね?」

そう言えば舞もふわふわしてると言っていたっけ。

『猫ってそんなにふわふわしているかなぁ』などと考えていると、不意に陽平が少女の膝から飛び降りた。

「あ、ねこさん~」

少女の手を逃れるように彼はそのまま広場の方へ走って行く。

「…だめ…っ」

「陽平、危ないよ。戻っておいでっ」

僕は急いで立ち上がった。

公園の広場では少年達がボールを蹴って遊んでいる。

ボールに当たりでもしたら大変だ。

「連れ戻さなくちゃいかん」

瀬戸口が立ち上がる前に舞がすかさず追いかけた。

「こちらへ来いっ」

舞の声に陽平が立ち止まり、その瞬間、近くで少年の蹴ったボールが撥ねた。

にゃっ。

驚いた彼が方向を変えて走って行く。

「こら、戻れと言うのにっ」

走り回る陽平に興味を引かれてか次々と仔猫達が広場へと向かう。

「あ、みんな駄目だってっ」

「まてこら、大介ーっ」

「…危ない…っ」

「未央ちゃん、怪我するよっ」

慌てて僕達は仔猫を追いかける。

「ねぇ、ねこ、つかまえるの?」

仔猫を撫でていた少年と少女が駆け出す僕に尋ねた。

「手伝ってくれる?」

「うんっ」

彼らは元気に叫ぶと手分けして走り回る仔猫達を少しずつ芝生へと戻してくれた。

にゃーん。なぁうー。

次々に捕まえられて抗議の声。

「ダメダメ、危ないから芝生とシートの上だけね」

「ねこさんひろばはだめなのよ」

首根っこをつかまれてぶら下がる銀河に少女が『めー』と言い聞かせた。

「まあでも、猫ってのは自由が売りもんみたいな生き物だから、じっとしてろって方が無理だな」

「大人になったらそうでもいいけど、この子達はまだ小さいからね」

僕は瀬戸口に苦笑して、手伝ってくれた子供達に持ってきたキャンディをあげた。

「みんな有り難う」

「またねこさんとあそんでいい?」

「いいよ。広場にいかないように気を付けてあげて」

「はーい」

ぱたぱたと子供たちが仔猫を追いかける。

その向うで

「そなた、元気が良いのはいいことだが、無茶をするでない」

とボールにぶつかりそうになった陽平は舞に説教されていた。

「あのおねえちゃん、ねこさんのおかあさんみたい」

と少女の一人が舞を指差す。

「おねえちゃんはね、この子達のお母さんと同じ名前なんだよ」

「じゃ、やっぱりおかあさんだ!」

少女の声に舞がこちらを振り返る。

「え、わ、私は…」

「そうしてると本当にお母さんに見えるよ?」

『ねぇ?』と隣に立つ少女に同意を求めると少女はコクンとうなずいた。

「わ、私が猫の母親などっ…」

「…似合ってる…わ…」

「い、石津までっ」

「…ふふ…」

しばらく僕らは子供たちと一緒に芝生を駆け回った。

行く先には飛び跳ねる仔猫達。

子供の歓声が上がり楽しく時間が過ぎていく。

 

陽が高く上った頃、子供たちが一人、二人と食事に帰って行った。

「ねこさん、おにいちゃん、またねー!」

「おう、またなー!」

意外にも子供達に人気のあった滝川が元気にブンブンと手を振って見送る。

その後彼は振り返って僕らを見回した。

「なあ、俺達もそろそろメシにしねぇ?」

「そういや腹減ったな」

「よいな。私も喉が渇いた」

「…飲み物…あるわよ…」

早速僕らはシートに戻って昼食を取ることにした。

 

「うわ、すげーっ!」

石津のお弁当と僕のとで滝川の言葉に違わず昼食は豪勢だった。

鳥のから揚げに卵焼き、サンドイッチ、おにぎり、煮物にアスパラのベーコン巻き…

普段の昼食よりボリュームのあるおかずがいっぱい。

衛生官である石津がペーパータオルを持って来ていたので手を拭いて、『いただきまーす!』の声と同時にみんなで一斉に箸を伸ばした。

「へぇ、石津って料理上手なんだな」

「このから揚げ、すっげー美味いっ」

瀬戸口と滝川の絶賛に石津の作ったから揚げを食べてみる。

「うん、本当美味しいね。今度作り方教えてよ」

「いい…わ…」

凄い勢いで食べ物を胃袋に詰めていた滝川がふと僕を見た。

「そういや、速水はいつも芝村の手作り弁当食ってるよな」

「うん。舞のお弁当、とっても美味しいよ」

「本当かぁ?どう見ても、な」

と目の前のお弁当と舞を見比べる。

「何が言いたいのだっ、滝川っ」

「こらこら、野暮は言わない。例え見た目が悪かろうが、多少まずかろうが速水にとっては…」

「し、師匠っ」

「あ…」

瀬戸口の失言に気づいた滝川が止めに入るのを待たずに舞の目つきが悪くなる。

ま、まずい。舞が料理の腕を気にしているの、みんなは知らないんだっけ。

「な、何言ってるの、みんな。見た目がどうとかの問題じゃないよっ。そうでしょうっ」

が…言った途端に舞がこっちを振り向いた。目が据わっている。

しまったっ、もしかして僕も失言?!

ますますまずいっ!!!

「ま、舞の手作り弁当は僕にとっては世界一なのっ。変な事言うなよ、滝川っ」

「俺、何にも言ってねーぞ。言ったのはお前と師匠だ」

「ええっ?!」

責任を振られて僕と瀬戸口が同時に叫ぶ。

「厚志、瀬戸口…」

つぶやく舞の目つきが一層悪くなる。

「お、俺、正直だからつい…」

「ちょ、何言ってんの瀬戸口っ。いや、だから違うって、舞っ」

慌てて言い訳しようとした僕を彼女の視線が冷たく刺した。

「…よかろう。明日から貴様の弁当は無しだ」

「うそっ?!」

「『見た目が悪い』上に多少『まずい』らしいからな」

「違うよっ。舞の作るお弁当はすごく美味しいのっ。だからっ…」

「知らん。自分で作れっ」

きっぱりと言い切って舞はサンドイッチを仔猫にやり始めた。

な、何で僕がこんな目に合わなきゃならないんだ。

『舞の手作り』と言うだけで最高の幸せだったのに~っ。

「瀬戸口と滝川のバカ~ッ」

「人のせいにするな、見苦しいっ」

叫ぶ僕の向うで瀬戸口と滝川がゼスチャアで『すまん』と平身低頭していた。

今更遅いよ、もうっ。

彼女がいるのに明日から自分で弁当を作るなんて寂しすぎる~っ。

 

僕らはわいわい騒ぎながらみんなで楽しくお弁当を食べた。

舞は仔猫にサンドイッチのツナとかをあげていて、他の仔猫もみんなからお弁当のおこぼれをもらって騒ぎながら食ベていた。

一番人気があったのが『おかかのおにぎり』。

さすが猫というかなんというか。

「あー、食った食った!」

「行儀が悪いぞ、滝川」

1時間程してお弁当を食べ尽くした僕らに石津と瀬戸口が手分けをしてお茶を配ってくれた。

人心地ついた僕らは涼しい木陰でそよぐ風に吹かれながらのんびり休日の午後を楽しんだ。

時折聞こえる子供達の声と仔猫の鳴き声と。

今が戦時中なんてとても思えない。

 

午後3時半頃になると仔猫達がうとうととし始め、それを機に集まりはお開きとなった。

「またみんなで遊びに行こーぜ!」

「…また…ね…」

「未央ちゃんによろしくなっ♪」

校門前で挨拶を交わしてそれぞれの家路に向かう。

僕と舞もバスケットを手に家路に着いた。

「楽しかったね」

「よくもまああれだけ食べれるものだ」

舞が言っているのは滝川のことだろう。

『食べる』で気になって恐る恐る尋ねてみる。

「舞、その…お弁当のことだけど…」

「…冗談に決まっているだろう」

「冗談?よ、よかったぁ~」

本気にしてたから心底嬉しい。

「舞の作る料理は本当に美味しいからね?」

「お世辞などいらぬ」

「本当だってば。信用ないなぁ…」

少ししょげるてみせると彼女は突然吹きだした。

「そなたの日頃の行いが悪いのだ」

「僕、いつも『美味しい』って言ってるじゃない」

「馬鹿者っ」

小さくつぶやく舞の頬が少し赤くなった。

それが可愛くて、ちょっと嬉しくて。

「な、なんだっ」

「なんでもないよ」

見つめる視線をごまかすようにバスケットを持ち直すと途端に仔猫の鳴き声がした。

にゃぁぁぁぁん。みー。なぁーん。

揺れるバスケットに目を覚ました仔猫達がまた騒ぎ出す。

「仔猫って本当に元気だね」

舞に苦笑して急いでアパートへ戻る。

本当、彼らは寝てる時だけおとなしい。

 

「早くみんなを出してあげなくちゃ」

アパートに着き、玄関先で暴れる仔猫達をまず何とかしようとバスケットの蓋を開けた時だった。

にゃっ。

中から飛び出した仔猫のうち、大介が玄関へと走る。

「あ、待てっ」

僅かに開いてた扉から彼が外へと飛び出した。

「大介っ」

慌てて舞が追いかける。

「お前たち、大人しくしてて」

玄関へ向かう仔猫を部屋に押し戻して追いかけようとした途端、舞の悲鳴が聞こえた。

「舞っ」

急いで玄関を飛び出すと、彼女の姿が無い。

慌てて二階通路のフェンスから下を見た。

「大丈夫っ」

「厚志っ、大介が!」

「どうしたのっ」

「フェンスの隙間から落ちたっ」

その言葉に急いで階段を駆け下り、舞の脇から地面を覗き込む。

大介は口から血を流し横たわっていた。その身体はピクリとも動かない。

「急いで病院へっ」

大介を抱える舞の腕を引いて、僕は近くの動物病院へ走った。

 

 

* * * * * *

 

 

「先生、大介は」

獣医は静かに首を振った。

「落下の時に首の骨を折ったようですね。苦しまずに済んだのが救いです」

舞は白くなるほど拳を握り締めて獣医の言葉を聞いていた。

助手の女性がタオルに包んだ大介を連れて来る。

「残念でした」

そう言って舞に小さな亡骸を差し出す。

受け取った彼女がそっとタオルをめくると、大介の開いていた口は閉じられ、血汚れた顔は綺麗に拭われていた。助手の女性が気遣ってくれたらしい。

僕は静かに獣医らに頭を下げ、大介をじっと見つめる舞の肩を抱いて病院を出た。

 

 

アパートに戻っても舞はタオルに包まれた小さな亡骸をずっと胸に抱いていた。

「明日、お墓を作ってあげよう」

放心した彼女の手から亡骸を引き取り、小さなダンボール箱に入れて部屋の隅に置く。

まず、彼女を落ち着かせなければならない。

「いま飲み物入れるから座ってて。それと着替えも。制服、汚れちゃったから」

舞に僕のシャツを渡して台所へ向かう。

やかんを火にかけ、お茶の用意をしながら閉めたガラス扉を振り返ると、曇りガラス越しに彼女の替える影が見えた。

少し安堵して急いで紅茶を入れる。

「はい、紅茶。落ち着くよ」

彼女の手にカップを握らせて立ち上がる。

血の付いてしまった制服をバスルームで洗い流してから部屋へ戻ると、舞はじっとカップを見つめていた。ハンガーに制服を掛けてから彼女の隣に座る。

何と言葉を掛けてよいか戸惑った。こんな彼女を見るのは初めてで。

「舞…大介は…」

言いかける僕を押しどどめる様に舞がつぶやく。

「私が追いかけなければ、こんな事には…」

「違う。舞のせいじゃないよ。みんなで公園に行ったから…初めて外に出たから…もっと遊びたかったんだ」

「…それでも、私がちゃんと扉を閉めていれば…」

つぶやく声が震えている。

「舞、自分を責めないで。可哀相だけど事故だったんだ。仕方ないよ」

「でも…でも…」

「事故なんだ。舞のせいじゃない」

彼女は黙ったまま冷めた紅茶を手にうつむいた。

そんな舞を独りにしておけなくて…その日、僕は彼女を抱き締めて眠りに付いた。

 

 

夜中にふと目を覚ますと、腕の中に舞がいなかった。

驚いて起き上がると、こちらに背中を向けて床に座り込んでいる彼女の姿が目に入った。

「どうしたの?」

言いながらベッドを降りて覗きこむ。

彼女は泣いていた。声も立てずに。

涙を溢れさせた瞳が部屋の隅の小さなダンボール箱を凝視している。

「舞…」

僕はそっと彼女を抱きしめようとしてはっとした。

冷たい。いつからこうしていたのだろう。僕が寝ている間ずっと…?

「ずっと起きてたの?風邪ひいちゃうよ、こんなに冷えて…」

暖めるように抱き締めてベッドに座らせる。

布団に横たわった彼女の隣に滑り込んで、両手でしっかりと抱き寄せた。

肩が小刻みに震えている。

「舞、舞、泣かないで…」

囁いて背中を撫でたが、彼女は僕にしがみ付いて肩を震わせ続けていた。

(舞…)

こんな彼女に付け込むような事はしたくはなかった。

まだ、舞は幼く、僕にとってはとても大事な人で。

…でも。

彼女を暖めてあげたくて、慰めてあげたくて…狂おしい程の思いが錯綜する。

「…暖めてあげようか…?」

彼女は答えなかった。

僕は震える舞に優しく何度も口付けた。

口付けながら身体の線をそっと辿ると、僅かに彼女は身を固くした。

それでも僕の背中に回された腕は解かれない。

「舞…」

覆い被さるように身体を重ねて耳元で囁く。

「二人なら、悲しみも半分にできるよ」

涙で濡れる瞳をじっと見つめる。

それから、流れる涙を唇で拭い、静かに彼女のうなじに顔を埋めた。

細い腕が震えながら僕の頭を抱き締める。

堪える嗚咽が耳に切なく響いた。

「慰めてあげる。…だから泣かないで…」

その夜…僕らは愛しいものを失った悲しみを互いの肌で分ち合った。

 

 

* * * * * *

 

 

翌朝、僕らは早起きをして学校へ向かった。

舞の腕にはダンボール箱が抱き締められている。

用務員室からスコップを借りて、校舎裏の小高い丘に二人で登った。

校舎を見下ろせる開けた場所の大きな木の前で立ち止る。

「ここからだと校舎も見えるし、大介も安心だよ」

僕の言葉に彼女は小さくうなずいた。

「ちょっと待ってね」

手にしたスコップで木の根元を掘り始める。

30cmくらい掘ってから舞を振り返った。

彼女は制服のリボンを解いて大介の首に結んでいた。

それから再び大介をタオルで包み直して僕を見る。

僕らは一緒に小さな亡骸を穴へと横たえた。

「おやすみ…」

そうつぶやいて土をかける。

大介の亡骸はあっと言う間に土に隠れて見えなくなった。

落ちていた小枝を拾って舞が髪を止めていたゴムで小さな十字架を作り、そっと地面に立てる。

小さな墓に小さな十字架。

僕らはそれぞれ手を組んで祈りを奉げた。

どうか大介の魂が安らかでありますように。

 

-キーンコーンカーンコーン-

鎮魂歌のように遠くで予鈴の鐘が鳴る。

「行こう…」

声を掛けたが、舞は小さく盛り上がった土の前でしゃがんだまま動かない。

僕は隣にしゃがんで墓を見つめながら言った。

「大介はずっと舞と一緒だから寂しくなんかないよ」

微かに潤む瞳を向ける彼女の頭を僕はそっと抱き締めた。

「舞もずっと大介と一緒だから、寂しくないよね?」

髪を撫でて囁くと、彼女は涙を堪えて小さくうなずいた。

 

僕らは遅刻して授業に参加し、その日は何事もなく一日が終わった。

髪を解いていることやリボンをしていないことを何人かのクラスメートに尋ねられた舞は、その度に黙って悲しそうに微笑んだ。

僕はなるべく彼女の側にいるようにして好奇心旺盛な連中から彼女を遠ざけた。

今はそっとしておいてあげたい。

僕に出来るのはそれだけだから。

彼女の心は悲しみで一杯で…僕は声を掛けることも出来ずにただ側にいる事しか出来なかった。

 

放課後の仕事時間が終わる頃、舞が工具を片付けながらぽつりと言った。

「…私は猫は飼わぬ」

「え、どうして?」

驚いて振り返った僕を見ずに彼女は工具を片付け続ける。

「舞…?」

問いかけにしばらく沈黙した後、

「…父の言った意味がわかったからだ…」

一言そうつぶやいて、舞はハンガーを出て行った。

 

それからというもの舞は学校では普段通りに過ごしていたが、猫の話はしなくなった。

彼女の気持ちを思うと僕は何も言えなかった。

その週の内、銀河と未央は石津と瀬戸口に、祭と陽平は近所の人達にもらわれていった。

もう、僕の家には母猫の舞しかいない。

 

 

大介が逝ってから次の日曜日、僕と舞は一緒に大介のお墓に向かった。

突き抜けるような青い空が眩しかった。

小高い丘の小さな墓の前で立ち止まり、並んで手を合わせる。

小枝の十字架の前には小さな花がいくつも置かれていた。

彼女はずっと大介に会いに来ていたのだろうか。

悲しみと後悔を胸に秘めて…

 

「ね、紅茶飲みにおいでよ」

立ち尽くす舞に微笑んで手を取る。

歩き出しながら手をぎゅっと握り締めると彼女が微かに握り返した。

互いの温もりを感じながら無言でアパートへ向かう。

扉を開けても、中は静かだった。仔猫のはしゃぐ声はもう聞こえない。

唯一残った母猫の舞も出かけていて、今、家にはいなかった。

急にがらんとしてしまった部屋。

「座ってて。すぐに用意するから」

僕は急いで紅茶を入れ、カップを持って彼女の隣に座った。

「はい、舞の好きなアールグレイ」

差し出した紅茶を黙ったまま彼女が受け取る。

静けさが重たくてどうしていいかわからない。

「…仔猫、本当に良かったの?」

舞は答えず、うつむいて静かに紅茶を一口飲んだ。

「…私にはそなたがいるからな…」

ポツンとつぶやかれた言葉が切なくて、悲しくて。

 

「ねえ、こっちにおいでよ」

僕は自分の座る前の床を手で叩いた。

「ほら、おいで」

腕を広げて彼女を呼ぶ。

舞はカップをテーブルに置き、そろそろと僕の前へ身を乗り出した。

背後から抱き寄せながら、腕に収まった彼女にカップを握らせる。

「ねぇ、また来年仔猫がたくさん産まれるよ」

彼女のウエストに腕を回しながら耳元で囁く。

「その時まで、僕が君を独り占めしとくね」

ふと見上げた彼女に優しく微笑む。

「僕、ずっと舞の側にいるから」

「仔猫が君を奪いにくるまでは、ずっとね」

「厚志」

舞の瞳が微かに揺れる。

「また焼きもちやいちゃうかも知れないけど」

「馬鹿者…」

悪戯っぽく言った僕に舞は小さくつぶやいてもたれかかった。

その重みが心地よくて、彼女の髪に顔を埋める。

「それまで『僕だけの舞』でいてよ」

「…私はずっと…そなたの『舞』だ…」

「うん…」

 

暖かい陽射しが部屋に差し込んでいる。

二人だけの静かな時間。

少し前まではみんなで陽だまりを楽しんだけど…

 

ふと腕の中の彼女が動いてベランダを見た。

「厚志、舞が戻って来た」

「ほんとだ」

舞(猫)は開け放たれたベランダから入ってくると、舞の膝に飛び乗った。

甘えるように膝の上で丸くなる。

にゃー。

舞の手が優しく猫の背を撫でた。

「駄目、やっぱり焼きもちやいちゃう」

つぶやく僕に彼女が笑った。

「猫が幸せに生きられる日が早く来るとよいな」

「そうだね。来年にはきっと…」

 

来年は。

猫と君と僕と…

戦争を終わらせてみんなで楽しく暮らすんだ。

そして、また二人で猫になろう。

こんな陽だまりの中で、みんなとまどろみながら…

 

腕の中の温もりを抱き締めて、僕はベランダ越しには少ししか見えない青空に願った。

 

来年は、きっと-

 

 

 

END

 

2001/9/30