自由への戦い

 

 

「このくらいでいいか」

つぶやいて舞ちゃんは手にしたドライバーを工具箱に戻した。時刻は午後9時半。

人類側のやや優勢により、出撃回数は以前より減った。機体のパラメータも問題なしだ。連日詰めていた整備員たちも最近では居残る者も多くない。

舞ちゃんは後片付けをしてハンガーを出た。

(今日は早めに帰って本の続きを読むことにしよう)

そう考えながら校舎はずれまで来ると小隊長室から出てきた速水くんに声を掛けられた。

「もう帰るの?」

「そうだ」

「僕も帰るとこ。家まで送ってくよ」

「うむ」

連れ立って歩きながら他愛ない会話をして家路を辿る。

いつものどぶ川べりの分かれ道まで来て

「ではな」

と言って舞ちゃんは四つ角を右折した。が、何故か速水くんがついて来る。

「何だ」

「何って、せっかく送って来たんだからさ。お茶ぐらいご馳走してくれてもいいんじゃない?」

「えっ?」

微笑みながらも下心見え見えの速水くんに舞ちゃんの頬が引きつった。

「い、いや、今日は急用があってな。これから急いで…」

「いいじゃない。すぐ帰るから」

「だ、だだだ駄目だっ」

「どうしてさ?」

「お、お前も連日の仕事で疲れておろう。早く帰って休むがよい」

「仕事は順調。疲れてもいないよ」

速水くんの下心もそうだが、とにかくまずい。舞ちゃんには来て欲しくない立派な理由があるのだ。

「わわ、私は疲れた。すぐに休まねばならぬので」

「急用があるんじゃなかったの」

「そそ、そうだ。急用を済ませてすぐに…」

言いながらじりじりと後退する。

しどろもどろに言い訳をする彼女に速水くんはピンときた。

「もしかして、舞」

「な、なななな、何だっ」

問に答えず、彼女を一瞥して彼がどんどんと歩いて行く。

「ど、どこへ行く、厚志っ」

慌てて追いかける彼女の視界に見えてくるのは古い木造アパート。速水くんは舞ちゃんの部屋の前に立って彼女へ向き直った。

「鍵」

彼が手を差し出す。

「だ、だから…」

「いいから、鍵」

彼女はしぶしぶ鍵を取り出した。

「あ、開けるのか?」

「嫌なら僕があけてあげようか」

「こっ、ここは私の部屋だ。私が開ける」

「そう?いいよ」

「あ、ああ開けるぞ?」

「どうぞ」

仕方なく舞ちゃんは鍵を開けた。そしてわずかに開いたドアの隙間から中に滑り込んで即座にドアを閉めようとした。が、何故か閉まらない。

「どういうことかな?」

「ええっと…」

隙間に靴の先を差し込んでいた速水くんが大きくドアを開く。

(うぅ…)

「やっぱり」

部屋の中は惨々たるありさまだった。

流しに置きっ放しの食器、脱ぎ散らかした服、雑誌に本に空のジュースの紙パック。足の踏み場がないとはこの事だ。

「先週掃除したばかりなのに…」

「こら、勝手に上がるなっ」

「どうやったらこんなに散らかせるわけ?」

「ううう、うるさいッ。寝に帰るだけの部屋だ、これで十分…」

「な訳ないでしょ。着替えとかどうすんの」

脱ぎ捨てられた衣服を拾ってたたみ始める速水くん。舞ちゃんが慌てて衣服をもぎ取った。

「かかか、勝手に触るなっ」

「こんな生活してちゃ駄目だよ」

『めー』と睨んで彼が立ち上がる。

「ああ、そっちは…」と言いかける彼女を無視して速水くんは続きの奥の襖を開けた。

 

「…」

「…」

 

しきっぱなしの布団の周りに散乱する書籍にプログラムに端末の部品。傾きかけたダンボールの山からコードやら何やら…得体の知れない物が覗いている。夜食代わりに食べたのが、お菓子やカップ麺のゴミとたたまず積まれた洗濯物…。

 

「舞」

目の据わった速水くんが振り返る。

「これから掃除するから」

「し、しかし、厚志」

「いいね?」

「…」

「返事は?」

「…勝手にしろっ」

「君もやるんだよ」

「なななな、何?!」

「返事は?」

「…ふ、ふむ。いいだろう…」

そして舞ちゃんの部屋の大掃除が始まった。

 

「ゴミはこの袋にまとめて」

「洗濯物はたたむのと洗うのを分けるんだよ」

「全部ダンボールに突っ込んじゃ駄目だってっ」

いちいち細かく指示する速水くんに、舞ちゃんは兵隊蟻になったような気分でふくれっつらをしながら黙々と作業にいそしんだ。

(こ、こんなうるさい奴などとは、絶対に結婚はしないぞっ)

と心に誓う。仮にそうなったら箸の上げ下ろしまでいちいち文句をつけるに違いない。

(私は一生独身で過ごすっ!!!)

硬い決意を胸に半ばやけくそで励んだお陰で、大掃除は2時間余りで終了した。時刻はとっくに深夜12時を回っている。

 

速水くんが入れてくれた紅茶を一口飲んで舞ちゃんは長いため息を付いた。

「…疲れた」

「それは僕のセリフ」

「お前が勝手に掃除をしたのではないかっ」

「だって、あれじゃあ放っとけないだろ」

「私はかまわん」

「僕がかまうのっ」

速水くんは紅茶の入った湯のみをダンッとテーブルに置いた。

「せっかくお揃いで買ったマグカップも割っちゃったじゃないかっ」

「割ったのはお前だ。私のせいではない」

「君があんな所に置いとかなければねっ」

ぞんざいな舞ちゃんが置きっ放しにしていたペアカップは、流しの端にバランス危うく置かれていた。溜まった食器を洗う際に速水くんが肘でかすって落としてしまったのだ。

 

「まったく、もうっ」

彼はなんとか気を取り直してずずずっと紅茶を啜った。

「今は良いけど、このアパート古いから、夏は虫がわくよ?」

「…」

「これじゃ毎週掃除に来なくちゃいけないね」

「そそ、そんな事は…」

「まったく、君って人はどうしてこうなんだろうね」

「人には得て不得手があるのだ」

「舞の場合は不得手すぎるんだよ」

「ううう、うるさいッ」

舞ちゃんがぷいっと横を向く。やれやれと肩を竦めて速水くんは立ち上がった。

「このゴミ出しておくから」

「うむ」

「もう散らかしちゃ駄目だよ?」

彼女に念を押してから、彼はゴミ袋を持って玄関を出た。

 

「はぁ…」

出るのは深いため息だけ。

本当なら今頃彼女と甘く楽しい時間を過ごしていたはずなのに…何で、夜中にゴミ袋下げてため息をつかなきゃならないんだっ。

 

彼女の部屋を掃除するのはもはや『カダヤ』である自分の運命…と付き合い始めて早々に割り切った。しかし、ムードもへったくれもあったものでは無い。ゴミ袋を手にする前に、キスの一つもしておくんだったと彼は自分のマメな性格を思い切り恨んだ。かかるゴミの重さが手に痛い。

 

彼はいろいろ考えて一つの結論を出した。現状を打開するにはこれしかない。

近くの集積場にゴミ袋を置いて速水くんは身を翻して走り出した。今日は火曜日、目標は週末。時間が無いが舞ちゃんの為なら何でもやる。

 

一方、舞ちゃんは彼がそんな事を考えているとも知らずに、布団に寝転んで本を読みながら早速お菓子の袋を開けてゴミを生産し始めていた。

 

 

* * * * * *

 

 

その週末の日曜の朝。

速水くんは早起きをして愛しの舞ちゃんを起こしに出かけた。

「舞、起きてるー?」

呼び鈴など無い為、彼はダンダンとドアを叩いて大声で呼びかけた。

「舞―、起きてーっ。ドア開けてー」

騒がしさにやっと目を覚ました彼女はあくびを一つしてむくっと起き上がった。時計を見ると7時を回ったところだ。

「舞―、僕だよー。早く起きてよー」

「うるさい、今出るというのに…」

再びあくびをしてパジャマ姿のまま玄関へ向う。

 

「何だ朝早くから」

わずかに開いたドアを速水くんは勢いよく外へと引いた。

「わっ」

ノブに手を掛けていた舞ちゃんが勢いあまってつんのめる。

「お・は・よっ♪」

倒れてくる彼女を速水くんが抱きとめた。ついでにおはようのキス。

「うっ、うー、うう、うーっ」

いきなり酸素供給を絶たれて舞ちゃんがうめく。髪を掴んで引き剥がした舞ちゃんがぜぇぜぇと息を付いて速水くんを睨んだ。

「な、なな何しに来たのだ、貴様っっっ」

「あ、そうそう。舞があんまり可愛いから本来の目的を忘れるところだったよ」

「目的?何のだっ」

「ちょっとね」

彼は舞ちゃんの脇をすり抜けて勝手に部屋へと上がる。

 

「あ、また散らかしてるっ」

「ううう、うるさいっ」

「もう、駄目だって言ったでしょ」

目に付いたゴミを捨ててから速水くんは部屋を見回した。

「えっと、かばん、かばん、と」

「こら、人の物を許可無く触るなっ」

怒鳴って腕を引く舞ちゃんをじっと見つめる速水くん。

「な、何だ」

「ねぇ。まだ早いし、もうちょっと寝る?」

「えっ?」

舞ちゃんは彼の視線を追って自分がパジャマ姿なのに気が付いた。

「ああああああっ」

慌てて奥の間へと駆け込む彼女に残念そうな速水くんの声。

「もう着替えちゃうの?まだそのままでもいいのに」

「うう、うるさいっ」

彼女は急いで着替えを済ませて襖を開いた。

「な、何しに来たのだ、貴様はっ」

「あ、そのシャツ似合ってる。今日もとっても可愛いよvv」

「はぐらかすなっ、厚志っ」

「んーじゃあね、顔洗って。それから出掛けるから」

「出掛ける?何処へだ?」

「内緒っvv」

 

ぶつぶつ文句を言いながら彼女が洗面と髪を結び終えるのを待って、速水くんは舞ちゃんを引っ張って玄関を出た。

「鍵はポストに入れといて」

「何故だ」

「いいの、それで」

彼女から鍵を取って勝手に玄関脇のポストに入れてしまう。

「何なのだ、厚志」

デートの約束もしていないし、学校に行く様子もない。

手を引かれるまま30分ほど歩いて彼が立ち止まったのは、まだ新しい感じの12階建てマンションだった。

「ここだよ」

「?」

いぶかしむ彼女をエレベーターに押し込み6階へ上がる。

6階へ着くと、彼が3軒目のドアを開けた。

 

室内に入った舞ちゃんが周囲を見回す。

2LDK。家具は少ないが両面ハッチやダイニングテーブルなど必要最低限の物は揃っているようだ。しかし生活感はあまりない。

「何だ?ここは」

振り返って尋ねる彼女に速水くんがにこやかに告げた。

「今日から舞はここに住むの」

「住む?」

「僕と一緒にね」

「なにッ」

「部屋代少し高くついたけど、光熱費とかは別々でいるより割安になるから」

「厚志っ」

「だって週末の度に舞の部屋の掃除するの大変だし」

と速水くんが上目遣いで舞ちゃんを見る。

(うっ)

「心配しないで。毎日の家事は僕がやるから。ここだと洗濯物の乾きもいいし、学校も近いよ。舞の為にずいぶん探したんだから」

(い、いらぬ世話をっ…)

舞ちゃんの拳がふるふると震える。

「勝手に人を連れて来て何かと思えば。馬鹿馬鹿しい、帰るっ」

「何処に帰るの?」

「自分のアパートに決まっているっ」

踵を返して玄関へ向う彼女に速水くんがのんびりと声を掛けた。

「あそこね、解約しちゃった」

「なっ、ななななななななにッ」

「日割りで今日まで借りてるけど」

「きっ、貴様、勝手にっっ」

「いいじゃない。ちゃんと住む所があるんだし」

「よくないっ。それにどうするのだ。荷物は何も持って来なかったぞっ」

「ああそれね。そろそろかな」

「そろそろ?」

 

ピンポーン。

 

「はーい」

パタパタと速水くんが玄関へ向いドアを開ける。

「ほれ、第一陣だ」

の声と共に若宮くんがダンボール箱を担いで玄関に現れた。

「あ、それ奥の6畳に置いてくれる?」

「よしきた」

ダンボール箱を担いだまま彼はずんずん歩いて指定場所にドサッと置く。

「おーい、何処に置くんだー」

と言いながら次に現れたのはまたまたダンボール箱をかかえた瀬戸口くん。

「ふう、こらチキー。詰まっとるばってん、はよーどいてはいよ」

「私まで借り出すとは…フフフやりますね…」

と続いて現れたのは中村くんと岩田くん。

「ごめん、ごめん。とりあえずここに置いてくれる?」

玄関先を示して速水くんはみんなに笑顔を向けた。

「みんな有難う。休みの日に悪いけど、助かるよ」

「あ、ああああ厚志?!」

「部屋を探してたら善行さんが手伝ってくれるって言ってくれて、みんなに声を掛けてくれたんだ。『その方が早いでしょう』って」

「善行?!」

「いい人だよね、彼」

呆然と立ちすくむ彼女に言いながら玄関先の荷物を奥へと押しやる。

 

部屋へ荷物を置いた瀬戸口くんが戻ってきて室内を見回した。

「へー。いいとこに住んでるな。新婚かぁ。羨ましい」

「なな、なぬを言っているっ、瀬戸口っ」

「え、だって速水が…」

舞ちゃんはキッっと速水くんを振り返った。彼はというと照れくさそうに笑っている。

「あ~つ~し~」

「だってね、WCOPももらったし…」と赤くなりながら言葉を続ける。

 

「僕、舞のお婿さんにしてくれるんだよね?」 

(お、おおおおお、お婿さんっ?!)

 

「ちょっと早いかなとは思ったんだけど、『善は急げ』って言うし」

「な、ななな何を馬鹿な事を言っているッ。いつ貴様をむ、むむ婿にすると言ったっ」

「え?『芝村になる』ってそういう事じゃないの?」

「ちがうっ」

「準竜師に聞いたら『あれは嫁の貰い手もなかろう。まあ、いいか』って…」

「ええ、うそっ?!じゃ、本当に新婚?!」

と焦って叫ぶ瀬戸口くん。

「ちちちちちちちちっ、違うと言うのにっ」

「戦争中だし今は無理だけど、一段落ついたらすぐにでも、ね?」

 

がつっっっ。

 

「ち、力いっぱい殴んないでよっ」

「うるさいッ」

「だって、準竜師の許可もあるんだからいいじゃないか」

クラつく頭を抱え込んで速水くんはしつこく食い下がった。

「私は許可などしておらぬっ」

「じゃ、今して」

 

ばきっっっ。

 

「舞~っ」

「何を寝ぼけた事を言っているっ。この馬鹿者めっ」

怒鳴って彼女は玄関へと足を踏み出した。しかし-

(なにっ?!)

唯一の出入り口である玄関。そこにはいつの間にかダンボール箱の山が出来ていた。開けっ放しのドアの外には箪笥などの家具まで見える。これでは出て行くのもままならない。

「ええい、くそっ。忌々しいっ」

再び怒鳴って荷物を蹴飛ばす。

「怪我するよっ、舞っ」

慌てて駆け寄る速水くんに文句を言おうとして彼女はふと気が付いた。本や端末はともかくとして、中には男の子に見られたくないものもある。

 

「厚志、その、荷物はみんな男子が?」

「うん?運んでるのは男性陣で、荷物を詰めてるのは女性陣」

「女性陣?」

「加藤さんと石津さんとののみちゃん。指揮をとってるのは原さんだよ」

「原?」

加藤さん、石津さん、ののみちゃんはわかる。同じ1組のクラスメートだ。たぶん2号機パイロットである善行くんがその場にいた女子に声を掛けたのだろう。

でも、何故原さんが指揮を取っているのだ?

 

舞ちゃんが考え込んでいる間に入れ替わり立ち代りクラスメート達がダンボール箱やら何やらを次々と玄関に置いていった。それを速水くんと瀬戸口くんがせっせと部屋へと運んで行く。

2時間ほどで空いていた6畳間はあっという間に荷物でいっぱいになった。

 

「よし、これで終わりだ」

どさっと最後の荷物を置いて若宮くんがダイニングヘやって来た。運搬作業を終えた他の者たちも次々と室内へとやって来る。善行くんを筆頭に中村くん、岩田くん、遠坂くん。

先に作業を終えた瀬戸口くんは速水くんを手伝ってジュースや紙コップなどをテーブルへと運んでいた。

「みんな有難う。大変だったでしょ。飲みもの用意してあるから」

「おう、クッキーもあるとね」

嬉しそうに叫ぶ中村くんを速水くんが振り返った。

「そうだ中村くん、これあげるよ。僕いらないから」

彼がポケットから取り出したのは小さな紙切れ。

「なんね?」

「ん、準竜師が内緒にしてる倉庫の地図」

「まさかっ?!」

いち早く反応したのは岩田くんだった。

「何故あなたがこんなものを?!」

「準竜師にここの家賃の補助をお願いする時に『ウイチタさんに話がある』って言ったら何だか知らないけど『ついでに』くれたんだ」

「ああ、あなたはまさか準竜師をっ?!」

凝視する岩田くんと中村くんに速水くんはぽややんと笑った。

「僕、住宅手当のお願いをしただけだよ?」

「…」

「…」

(くそっ。勝吏も厚志の協力者だったかっ)

舞ちゃんはふてぶてしい顔の従兄弟を思い出して壁を蹴飛ばした。

 

「クッキー、たくさんあるんだ。みんなで食べて」

「いいのか?じゃ、遠慮なく」

甘党の若宮くんが嬉々として出されたクッキーをつまむ。

「ではご馳走になりますか」

ワイワイ、ガヤガヤとダイニングでお茶会が始まった。

クッキーを手に各自おもいおもいに室内を検分して回る。

 

「おお、オーブンも付いとるとねー。こら料理のし甲斐があるばい」

台所で中村くんの声が聞こえたと思うと

「バスはユニットですか。でもまあ狭い方が…」と善行くんがニヤリ。

一方奥の部屋では

「セミダブルのベッドか。俺も欲しいなぁ」

と若宮くんがため息をついていた。通常サイズのベッドでは足が飛び出してしまうのだ。故に未だに彼はベッドで寝た事がない。何か寂しい。

 

「いい天気ですね。布団を干すなら手伝いましょうか」

遠坂くんが窓の外を見て速水くんに申し出た。

「いいの?助かるよ」

連れ立ってダイニングを出て行く彼らに舞ちゃんはチャンスとばかりに玄関へ走った。

(今のうちに…)

荷物は運ばれてしまったが、それはまた戻せばいい。とにかく大家に掛け合ってまた部屋を借りなければ。

 

急いで靴を履いてドアを開ようとした拍子に勝手にドアが開いた。

「あら、こんにちは」

目の前に原さん。その後ろに加藤さん、石津さん、ののみちゃん。

「どこ行くの?」

「え、い、いやちょっと…」

脇をすり抜けようとした舞ちゃんの腕を原さんが掴む。

「主役がいなくちゃ困るのよねぇ。速水くん来たわよー」

原さんに引きずられて舞ちゃんは部屋へと連れ戻された。

(………)

 

「あ、今日はみんな有難う」

「嫌ね、お互い様じゃないの」

迎える速水くんに原さんはにっこり笑った。

「いいところじゃない」

「そうかな」と嬉しそうな速水くん。

「部屋代結構いくのと違う?」

「うん、まあね。でも、せっかくだし奮発しちゃった」

(勝吏を脅してなっ)

加藤さんに答える速水くんを忌々しそうに舞ちゃんが睨んだ。

「あっちゃんうれしそうだね」

「僕、今とっても幸せだから。ねぇ、舞vvv」

 

ごきっ。

 

「う…」

「まいちゃんけんかはめーなのよ」

「喧嘩ではない。躾だっ、躾っ」

「そうなの、あっちゃん?」

涙を溜めて速水くんがふるふると首を振る。

 

「みなさん、こちらに飲み物とクッキーがありますよ」

善行くんの声に新たに加わったメンバーもテーブルを囲んだ。

 

「あっちゃん、こんどののみにクッキーのつくりかたおしえて」

「いいよ。どんなの作りたい?」

豪快にクッキーを頬張る中村くんが彼らを見て笑った。

「クッキーは混ぜる物によって色々作れるばい。今度自慢のレシピを伝授しようかね。ほっぺが落ちるほど美味かとばい」

「え、いいの?」

「みっちゃん、ののみも、ののみも」

「…私も…教えて…」

何とも和気あいあいとした雰囲気である。

その中で一人ぶすっと壁に寄りかかる舞ちゃんを見て原さんが切り出した。

 

「そうそう、みんなからのプレゼントがあるんだけど」

「プレゼント?」

キョトンとする速水くんに原さんは石津さんから受け取った紙袋を差し出した。

「はい、これ。大した物じゃないんだけど」

「何?」

「開けてみてよ」

速水くんが紙袋から可愛くラッピングされた箱を取り出して舞ちゃんへ渡す。

がさごそ。

 

「!!!」

 

包みを開けた彼女は箱を掴んだまま固まった。

「どうしたの?」と速水くんが覗き込む。

それは紺とワイン色のお揃いの…

「ペアパジャマ?!」

「いろいろ考えたんだけど、やっぱりコレかしらと思って」

原さんは彼らに妖しく微笑んだ。

「気に入ってくれると嬉しいんだけど」

「有難う。大事に使わせてもらうよ。ね、舞」

嬉しそうな速水くんと対照的に舞ちゃんは今にもマシンガンをぶっ放しそうだ。

「気に入らなかった?芝村さん」

「…」

念を押すところが原さんらしい。

 

「ああ、もう昼ですね。そろそろみんなおいとましますか」

ふと時計を見た善行くんがみんなに声を掛けた。

「運んだ荷物の整理もあるでしょうし、いつまでもじゃ片付きませんから」

「そうね。お邪魔しちゃ悪いしね」と原さんが続ける。

「別にそんな、邪魔だなんて」

「あらあら、いいの?そんな事言って」

照れる速水くんに一同ニヤリ。

「はははは」

 

どかっ。

 

「け、蹴らないでよ、舞~」

よろける彼を一瞥して、舞ちゃんは貰った箱をバンッとテーブルへ置いた。

それを合図に

「これから片付けが大変だとは思いますが、まあ頑張ってください」

と無難な挨拶を残し善行くんが玄関へ向う。

「まあ、たっぷり時間はあるし、頑張れよ」

意味深なセリフを口にして瀬戸口くんが速水くんの肩を叩いた。

「今度本場熊本料理を教えちゃるばい」

「うん」

「布団、早めに取り込んだ方がいいですよ」

「有難う」

「あっちゃん、まいちゃんまたあそびにきてもいいー?」

「いいよ、ののみちゃん」

「喧嘩しないで仲良くね」

「…」

それぞれ各自言葉を残して玄関を出て行く。

「みんな本当に有難う」

「また明日なー」

 

 

「さてと」

みんなを送り出して戻ってきた速水くんに舞ちゃんがゆらりと近づいた。

「厚志」

彼女が胸倉を掴んでねめつける。

「貴様っ、一体どういう事だっ」

「だってね、引越しするって言っても君が渋ると思ったから…」

(渋るどころか、断固拒否するっ)

「舞を連れ出しておいて、その間に引越ししちゃおうって原さんが」

「原?!」

(あやつの入れ知恵か~~~~~~~~っ)

 

善行、原、若宮とくれば結論はひとつ。

舞ちゃんは素早く室内を見回した。きっとどこかに盗聴器がしかけられているに違いない。

 

「ねぇ、舞。『お祝い返し』何がいいと思う?」

「そのようなもの必要ないっ」

「そうはいかないよ。手伝ってもらった上にプレゼントも貰っちゃったし、何かお返ししないとね」

「必要ないと言うのにっ」

「駄目だよ、舞。こういうのはちゃんと二人で考えてお礼しなくちゃ」

舞ちゃんはぽややんと笑いながら諭す速水くんの頬を思い切り引っ張った。

「ひ、ひひゃひほ…」

「祝い返しなどより探す方が先だっ」

彼女はテーブルの下を覗きながら叫んだ。

つられて速水くんも頬を摩りながら覗き込む。

「何かあるの?ここ」

「盗聴器に決まっているっ」

「え、そんなもの家にあるの?」

「まんまと嵌められおって、このたわけ者っ」

「いいじゃない減るもんでも…」

 

がつっっっ。

 

「舞~」

彼女は頭をさする速水くんを引きずって、強制的に盗聴器捜索を開始した。

「隅から隅までよく探せ。いいなっ」

 

ダイニングの椅子の裏を始め、風呂場の換気扇の蓋の裏、食器棚の一番上の棚の隅、下駄箱の中、部屋の照明器具の中、エアコンのカバーの裏にベッドの裏…

「一体、何個あるんだろうねぇ」

必死で捜索した結果、全部で11個の盗聴器が見つかった。

「まだあるやも知れぬが、まあよしとするか」

 

舞ちゃんは探し出した盗聴器をタッパーに入れて水を注ぎ、慎重に蓋を閉めた。

それから

「てぃやっ」の掛け声と共にガラガラガラと振り始める。

「…」

「このっ、このっ、このっ」

一心不乱にタッパーを振っていた舞ちゃんが一息ついて速水くんを見た。

(え?)

「交代だ」

「ぼ、僕もやるの?!」

睨まれて彼は素直にタッパーを受け取った。

 

ガラガラガラ。

 

振りながら速水くんがため息を付く。

「ねぇ、不燃ごみの日っていつだったっけ?」

「知らん」

「これってやっぱり『燃えないごみ』だよねぇ…」

 

舞ちゃんは疲れた腕を揉みながら室内を見回した。

12畳程のダイニングリビングと個別の6畳間と8畳間。2つある部屋のうち、6畳間は運ばれた荷物でふさがっている。彼女はさっきから気になっている事を聞いてみることにした。

「一つ聞くが…」

「うん?」

「私の部屋はどこだ」

「ここだよ」

と律儀にタッパーを振りながら彼が8畳間を指す。

「お前の部屋は?」

「ここ」

再び速水くんが8畳間を指す。

彼女はくるりと身を返した。ずんずんと6畳間へ向う。

「舞?」

扉に刺さっている鍵を引き抜き、舞ちゃんは部屋へ入ると中から鍵を掛けた。

「ちょっと、舞?!」

速水くんの声を無視して積まれたダンボール箱の山を蹴り崩す。

 

ドサッ。ドドドドッ。ドタンッ。

 

派手な音を立てて崩れ落ちた箱の一つに腰掛けて舞ちゃんは頬杖を付いた。

「何してるのっ、大丈夫っ?!怪我してない?!」

「うるさいっ」

何でこんなことになってしまったのだ。

「舞、出てきてよっ。出てきてったらーっ」

(無視だ、無視っ)

 

現状を何とかする為、彼女は多目的結晶体で住んでいたアパートの大家へアクセスした。文句の一つも言ってやろうと思ったが、どうしても連絡が取れない。自宅には不在のようだ。

仕方なく今度は熊本市内の不動産業者に連絡を取り始めた。とりあえず住むのは何処でもいい。ここ以外のとこなら。

しかし何故かこちらも上手くいかず空振りだった。

アクセスすると同時にエラー音が響き、条件を閲覧しようとすると切断されてしまうのだ。

(厚志が何かしたのでは…)

勝手に人のアパートを解約する奴だ。そのくらいはしそうだ。

舞ちゃんは立ち上がってドアを開けた。

 

「舞、大丈夫?怪我しなかった?」

姿が見えるや否や速水くんが駆け寄って怪我有無を確かめる。

「凄い音がしたから下敷きになったのかと思ったよ」

「そんなことより話がある」

「ん、何?」

舞ちゃんは冷たい視線を投げて言った。

「貴様、熊本市内の不動産業者に何かやっただろう」

「え、何の事?」

訳がわからずぽかんとする速水くん。

「しらばっくれるなっ。連絡を取ったらどこもアクセス拒否されたぞっ」

「舞、もしかして出て行こうとしてたの?」

「当り前だっ」

「そんなぁ。引っ越したばっかりなのに…」

速水くんが瞳を潤ませて彼女を見た。捨てられた子犬のように悲しげだ。

舞ちゃんの胸がちくりと痛んだ。しかし、ここでひるんではいけない。でないと彼の思うつぼ。

 

「一緒に暮らすなど出来る訳がないだろうが」

「どうして?僕、ぜんぜん平気だよ?家事するのだって苦にならないし」

「とにかく、何かしたならさっさと吐けっ」

「僕、何もしてないよ。この部屋借りただけだもん」

(勝手に人のアパートを解約してなっ)

「本当に何もしてないのだな?」

「誓うよ。何もしてない」

速水くんは真剣な瞳で舞ちゃんを見つめた。

実際、彼は何もしていなかった。通信の際にちょっと二言三言つぶやいただけ。気を回していろいろやったのは全部準竜師だ。

 

 「そうか…ならいい」

視線を反らして舞ちゃんはため息を付いた。

「しかし、何故アクセスが拒否されるのだ」

「どうしてだろうね?」

と相槌を打ち、速水くんは機嫌を伺いながら尋ねた。

「ねぇ、お腹空いてない?」

聞かれて舞ちゃんは時計を見た。午後3時半。言われてみれば、朝から何も食べていない。

彼の作ったクッキーは若宮くんと中村くんが残さず食べてしまって、彼女は1枚も口にしていない。

返事を待つ彼にそっぽを向いて舞ちゃんはぼそっとつぶやいた。

「少しは…空いたかも知れぬ」

「ご飯出来てるよ。今、スープを温めるから待ってて」

彼は嬉しそうに笑うとパタパタと台所へ走った。

「冷めない内に一緒に食べよ」

「うむ」

 

パスタとスープを食べ終えて再び6畳間に戻った舞ちゃんはため息を付いた。

崩れた以外にもダンボール箱の山。パズルのように積み上げられている。一部蹴り崩してしまった為に、蟹の様に移動しなければ奥へは行けない。

片付けを済ませた速水くんが彼女の元へとやって来た。

「思ったより荷物が多いね」

「仕方あるまい。以前の所は二間あったからな」

「全部片付けるのに時間掛かるなぁ。ここは倉庫として使おうよ」

「えっ」

「これじゃぁ足の踏み場も無いし、ベッドもあるから必要なものだけ出して後は置いておこう」

 

ベッド。

確か8畳間にセミダブルのベッドがあった。ということは。

 

「いるのといらないのと分ければ少しは…」

と言いながら破れた箱の中身を戻す速水くんを舞ちゃんは室外に押し出した。

「ちょっと、何?」

バタンッ。

彼の目の前で閉まるドア。続いて鍵を掛ける音。

「舞っ」

(そう簡単に食われてたまるかっ)

再び舞ちゃんはダンボール箱を蹴飛ばした。

 

 

「まーい、お腹空いたでしょ?出ておいでー」

(人を猫みたいに呼ぶな、馬鹿っ)

「美味しいご飯があるよ。お風呂も沸いてるから」

速水くんはしつこく扉を叩いていたが、諦めたのかそのうち静かになった。夜中まで引きずり出した本を読んでいた舞ちゃんは、静かになった頃合をみて部屋のドアをそっと開けた。

速水くんは寝てしまっているようだ。

 

安堵してそろそろと部屋を出た彼女は、ダイニングテーブルの上に何かが置かれているのを発見した。掛けられている布巾をとると、おにぎりが3つ。

『お味噌汁はおなべの中。ちゃんと食べてね』の書置き付だった。

海苔の巻かれたおにぎりを1つ取ってかじる。悔しいが、彼の作ったおにぎりは美味しかった。

静かに椅子を引いて腰掛ける。

彼女はおにぎりを食べながら、ため息を付いた。

 

一体、これからどうすればいいというのだ。

 

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