-with you-

 

 

 まさに五月晴れというにふさわしい抜けるような青空。日差しはかなりの強さだが、時折駆け抜けていく微風が肌に心地よい。人々は幻獣という重い戒めがなくなったせいか、その空をよりいっそう素晴らしいものと感じていた。

 そう、4月末に九州、いや世界中から幻獣はその姿を消していたのだ。

 その原因が九州の一個小隊、そこに所属するとある学兵にあるということを知っているものなど、ごく一部を除いては知る者もなかった。

 あの「竜」との戦いは……。

 まあ、これは今回の話にはあまり関係ない。

 とにかく、日本政府はためらいがちにではあるが、幻獣の脅威が当面は取り去られたものと判断し、当初から時間稼ぎの予定であった学兵たちの動員解除を決定。近日中に議会において決議がとられる運びとなっていた。

(まあ、この戦いで明らかになった第6世代の戦闘力を今後も確保するために、全員を『即時待機予備役』に指定する決議も同時に行われるあたりがなんとも勝手ではあったが)

 この話も直接的には関係ない。

 話は、この動員解除の決議が行われ、ならびに一般待機命令が出されて数日後から始まる。

 

 

 

「ピクニックだと?」

 舞が片方の眉だけを吊り上げて聞き返した。

「そう、明日――日曜日、どうかな?」

 相変わらずなぽややん声でのんびりと答える速水。

 舞はどことなく不機嫌そうにも見えるが、一瞬口の端が動いたのを速水は見逃さなかった。速水にしてみればそれは彼女の照れ隠しにしか過ぎないと知っている。そこで、もうちょっと誘いをかけてみることにした。

「ねえ、どうかな?この間は忙しくてデートにも行けなかったしね」

 ……あの戦いを「忙しかった」ですますあたり、大したものではある。

「なっ!すすすすると、こ、ここれもで、でぇとというわけなのだな?」

 うん、普通はデートっていうよね、これ。

 速水はそう思いながらもう一押しをかける。

「ね?」

 とっておきのあっちゃんスマイル。舞はこの笑顔を出されると弱かった。

「それとも、都合でも悪いの?」

 速水がわずかに哀しげな表情を見せると、

「ベ、別に用事があるというわけではない……。そなたと一緒にいられるのだ、嫌なわけがないではないか……」

 と、顔を赤らめながら早口で答える。もっとも後半はごにょごにょと口の中でつぶやいただけだったが。

「よかった!じゃあ、行こうよ、ね?」

「う、うむ。任せるが良い」

 顔のほてりが収まらないまま舞が答える。

 

 心が浮き立つのを感じる。

 ……私も変わったな。

 舞はそう思いはしたが、決してそれは不快ではなかった。

 弱くなったかと思ったときもあった。しかしそうではない。守るべきものがまた一つ増えただけのこと。

 ただし、それが最も身近で最も守りたいものになったのが違うだけ……。

 

「……舞?」

 呼ばれて舞ははっとした。少し自分の考えに入り込んでいたらしい。

「な、なんだ?」

「どうしたの?僕、何か変なこと言ったかな?」

 速水が心配そうに覗き込む。

「い、いや、少し考え事をしていただけだ。続けて構わんぞ」

「そう?でね……」

 簡単に予定を打ち合わせた後、二人は早々に学校をあとにした。

 実質終戦となってからは、士魂号も必要最低限のメンテナンス以外は行なう必要がなくなったため、こんなことも可能になったのだ。

 新市街をぶらついてちょっと買い物をして、一休みしてお茶を飲みながら他愛のない会話を交わす――これとて立派な『でぇと』なのだが、果たして舞は意識しているのかいないのか。

 やがて、夕陽が沈みかかり、夜の帳があたりを覆い始めようとする頃、二人は舞のアパート前に着いた。

「今日は寄ってっちゃ駄目かな?」

「何を言っておる、明日は早いのであろう?さっさと帰って準備をするがよい」

「舞と一緒にいられるなら、ちょっとぐらい遅れてもいいけどね」

 そういって速水が苦笑する。

「……たわけ」

 

 唇が触れる程度の軽いキス。

 やがて、家路をたどる速水の姿が夕闇の中に消えると、舞はゆっくりと家に入っていった。

 

 

 

 翌日の朝早く、速水が集合場所に30分も早く到着していた。

 今日の速水の服装はいつもの制服ではなく、ラフなシャツにデニム地のカーゴパンツとスポーツシューズといったいでたちで、手にはバスケットを提げていた。

 ……いささか違和感がなくもないような気がする。

(早く来ないと、舞ったらまた怒るからね)

 そんなことを考えながらなんとなく所在なげに立っていると、数分もしないうちに舞がこちらにやってくるのが見えた。その服装は……。

「わあ……」

 舞も速水と似たり寄ったりの機能的な、動きやすい服装だった。

 しかし、速水が声を上げたのは、舞が化粧をしているのに気がついたからである。化粧といってもリップを薄くひいたというくらいしか厚志には分からなかったが、それだけでなにやら輝きが増したような気さえしてくる。

「な、何だ厚志、私の顔に何かついているか?」

 舞は舞で(原の指導で)化粧をしてみたものの、果たしてどんなものかさっぱり見当がつかなかったので内心不安で仕方がなかった。

「その、舞……化粧してる?」

 舞の表情が硬くなる。

「やはりそうか……、私には似合わぬということか?」

「え……!?いや、違うよ!」

 速水が否定したが、舞の表情は変わらない。

「嘘をつくでない!」

「嘘じゃないって!」

「ならば、何を考えていた!」

「え?その……きれいだな、って……」

「!!」

 速水の思いもかけなかった答えに硬直する舞。少ししてからようやく話し出す。

「そ、そうか……?」

「うん、とっても」

 舞ははにかんでるような怒ってるような泣き出しそうな……、何ともいいようのない複雑な表情をしていた。

 言った速水も照れくさいのか、そっぽを向いてしまっている。

 少しして、

「……バスが来たみたいだから、行こうか?」

 と速水がいうと、舞は黙ったままこくんとうなずいた。

 

 

 

 バスでしばらく揺られて着いた先はとある森林公園。この戦争のさなかでも破壊されず、周囲の自然が急速に回復していくのにあわせていっそう豊かな情景を取り戻したのは皮肉以外の何物でもあるまい。

 公園に入ってしばらく歩くと、きれいに整えられた芝生に覆われた丘ともいえない丘があった。頂上には木が一本生えており、貴重な木陰を提供していた。

「それじゃあ、ここらへんでお昼にしようか?」

「そうだな、ちょうどよかろう」

 ようやく落ち着いたらしい二人は、木陰にシートを引くと昼食の準備を始めた。

「はい、舞、紅茶」

 速水が魔法瓶から注いだ紅茶を差し出す。

「うむ、すまぬ」

 一息ついて紅茶を飲む。

 で、こういうときの昼食といえばやはり……。

「はいこれ、サンドイッチ作ってきたからね」

 そういって速水がバスケットの蓋を開けると、ふわりと良い香りが辺りに漂った。

 色とりどりの具を挟み、丁寧に調理されたサンドイッチがきれいに詰められてるさまはまさに熟練の主婦の技。

 と、なにやら舞がそわそわしている。

「? 舞、どうしたの?」

「あ、いや、その、だな。今日はそなたがサンドイッチを作ってくると言っておったからな、わ、私もこんなものを作ってみたのだが……」

 最後のほうは消え入りそうな声。

 舞が差し出したそれは、一つの容器だった。速水が蓋を開けてみると、中にはから揚げとか卵焼きとかおかずになりそうなものがぎっしりと詰まっていた。

「わあ、すごいや!ありがとう!」

 そう言うと速水は早速から揚げをひょいぱくと口の中に放り込んだ。普段の弁当つくりの成果か、実に速水好みの味に仕上がっていた。

「あ、厚志っ」

「うん、おいしいよ、これ」

 満面笑みで速水が言うと、

「そ、そうか?……そうか」

 そんな速水の様子をみて、舞も嬉しそうに微笑んだ。

 今はそんな心配ないけれど、もうちょっと前にこんな表情を見せてたら、皆も誤解することなかったかもしれないのにね。

 速水はふとそんなことを考えたが、すぐに思い直した。

 でも、そんなことしたら皆が舞の魅力に気がついちゃうからやっぱり駄目だな。

 ……結構、勝手なことを考えている速水であった。

「厚志?」

 舞の声に我に帰ると、

「ん、ああ。さあ、食べようか」

 その日の昼食は、いつもの何倍もおいしかったそうな。

 

 

「うむ、美味であった。そなたのサンドイッチはいつもながら絶品だな」

「舞のおかずもおいしかったよ……、あ」

「?」

「クリーム……」

 見ると舞の口の端にフルーツサンドからはみ出たのか、生クリームがほんの少しついていた。

「しょうがないなあ」

 速水が近づきながらハンカチを取り出……さず。

 

「え?」

 

 ぺろっ。

 

 そのまま舐め取ってしまった。

 

 舞はしばらく何が起こったのか理解できなかったが、事態を理解してくるにつれ、顔に血液が集まってくるのを実感した。

「ああああああ厚志っ!」声まで見事に裏返っている。思わず速水の胸倉をつかむような格好になる。

 さすがに照れてはいるみたいだが、いっそ憎たらしいまでのぽややん顔で答える速水。

「そ、そなたいったい何を……!」

「ごめん、なんかとっても可愛かったものだから……」

「ごめんではないっ!だ、誰かが見ていたらどうするのだっ!」

 速水はいささかわざとらしく首をめぐらすと、

「誰もいないけど?」と言った。

「それにしてもだっ!ななななにもし、し、舌っ……!」

「いいシチュエーションだと思ったんだけどなー」

 ぷちん。

「馬鹿者ーーーーーッ!!」

 舞姫大暴れ。

 

「まったく、そなたときたら……」

「ごめん。もうしないから、勘弁してよ」

「むむ……ま、まあよかろう」

 大暴れもようやく収まり、二人は木にもたれかかっていた。

「それにしても、気持ちいいなあ……」

 そういって速水が芝生にごろんと横になる。青臭い匂い、頬にあたる冷たい感触。吹き抜ける風は心地よく顔をなでていく。舞も速水の傍らに座りこんだ。

「こんな気持ちで、空を見上げる事ができるようになるなんて思わなかった……」

 終わる事のない戦い、目の前で吹き飛ばされる戦友、炎、血、絶叫。

 そして、竜……。

 全てが解決されたとは言うけれど、それらを忘れる事などなかなかできはしない。

「舞……君はどこへも行かないよね?ずっと一緒にいてもいいんだよね……?」

 呟くような、速水の声。

「何をいまさら、そなたは私のカダヤだと何度……、厚志?」

 返事がないのをいぶかしんだ舞が傍らを見ると、速水は心地よさそうな寝息を立てていた。

 いささか呆れ顔の舞だったが、速水の寝顔を見ているうちに徐々にその表情が柔らかいものへと変わっていく。

 風に揺れるちょっとクセのある黒髪を撫でてみる。

 おかしなものだな、そなたがここにいるというだけで、何故私はこんなにも心が落ち着くのだ?

 舞はその回答を既に得ているような気もしたが、深く考えるのはやめにした。芝村らしくないと言われればそれまでだが、余人に話すわけでもない。自分だけが理解できていればそれでいい……。

 と、いきなり舞があたりをうかがうように左右を見回した。

 誰もいないことを確認すると、そっと速水の隣に横になる。そして、速水が放り出すようにしていた右腕の上にそっと頭を乗せた。

 自分の心臓の鼓動がやけにうるさかった……。

 

 

 

 さらさら、さらさら……。

 舞は、自分の髪を撫でられているのをぼんやりと感じた。

「舞?」

 自分を呼ぶ声に、急速に意識が覚醒する。

 そして舞は、速水の胸に頭を乗せ、半ば抱きつくような格好で眠っていた自分を発見した。

「!!」

 弾かれたように飛び起きる舞。見れば燃えるような夕日がまもなく没しようとしていた。

 そんなに眠っていたのか、不覚であった……。

「よく眠っていたね」

 速水に言われて思わず赤面する舞。

「そ、そなたこそさっさと寝ていたではないか」

 一応反撃を試みるも、次の一言であっさりと砕かれてしまった。

「うん。でも、途中で目が覚めちゃって、それからはずっと起きてたよ」

 ぴくっ。

 ということは、つまり……。

「そ、そなたは私のね、ね、ね……」

「うん。寝顔をずっと見てた」

 一瞬硬直した舞だったが、次の瞬間には速水の胸に顔を埋めてしまっていた。

「ま、舞?」

「うるさいっ!しばらく動くな、それから顔も見るなっ!」

 夕日の中でもはっきり分かるくらいに耳まで赤くした舞がどんな表情をしているのか、速水には容易に想像がついたが、何も言わなかった。

 

 舞。

 あふれんばかりの自信と、気高いまでの誇りを持ちながらその芯にはとても純粋な心を持つ少女。

 僕がそばにいたいと望み、守りたいと思ってきた少女。

 僕の、カダヤ。

 そんな舞がとても可愛くて、愛しさが込み上げてきて。

 気がつくと速水は、舞の頬にそっと手を当て、優しくキスしていた。

「ん……」

 温かくて柔らかい、舞の唇。

 いい匂いがする。舞の、匂い……。

 舞は最初体を硬直させていたが、段々と力が抜けてゆき、おずおずと速水の背中に手を回した。

 永遠とも思えた瞬間。

 ゆっくりと二人が離れた。どちらからとなく思わず漏れる吐息。

 顔が赤いのは夕日のせいばかりではあるまい。

 しばらくそのまま二人とも動く事ができなかった。

「えと、その……舞、もう帰ろうか?」

 夕日が完全に落ち切ろうかという頃、静寂を破ったのは速水だった。

 彼の問いかけに黙ったままこっくりと頷く舞。

 二人は帰り支度を整えると、夜の帳が降り始めた中をバス停に向かって歩いていった。

 そのとき、舞の手は速水の上着の裾をしっかりと握り締めたままだったという……。

 

戴いた日:2001/7/14